2013年12月17日火曜日

8月7日(水)ニューヨークシティ 〜美術館巡りとミュージカル〜



   ソロモン・グッゲンハイム美術館
外も中もスパイラル
まずはセントラルパーク中央部付近の5番街にあるフランク・ロイドライト晩年の作品グッゲンハイム美術館へ。ぐるぐると渦を巻く白い建物、おなじみの外観が目の前に現れました。中に入ると人々が吹き抜け空間の床に寝ころんで紫の光に包まれていました。しばらく見ていると光は時間とともに青やピンクなどに変化していきます。上を見上げると、吹き抜け空間がトップライトまですっぽり布で覆われ光のキャンバスとなっていました。この展示は、光と空間の芸術家ジェームスタレルによる”Aten Reign, 2013”展(621日~925日)。しかし、吹き抜け部分はすべて布でふさがれ、スロープに沿って壁面に展示されているはずの絵画も撤去されていました。エレベーターで最上階の6階まであがり、そこからスロープを降りながら壁面に展示された作品をみる、吹き抜け側はスロープの手摺壁の上部が開放され、そこから各層の展示や人の往来を眺めることができる、という本来の観賞方法を体験できなかったことは残念です。しかし、1943年の設計着手から1959年の竣工まで16年を要し、没後に完成したライト渾身の作品を実際にみるというニューヨーク訪問の目的のひとつを達成することができました。

  メトロポリタン美術館
正面玄関の大ホールから各展示室へ出発
グッゲンハイムからセントラルパークの中を10分ほど南に歩いて同じ5番街に面するメトロポリタン美術館(1870年開館)に到着。4街区にまたがる大きな建物で、どこを見ればよいのかしばし呆然。とりあえずマップをもらい、ホールでの集合時間を決めてあとは各自興味のある展示を見にいくことに。エジプトアート部門では、1階のデンドゥール神殿が目を引きました。これは、ローマ皇帝アウグストゥスの命によって紀元前15年に建設され、この神殿を含めてアスワンハイダム建設工事で湖底に沈む遺跡の保護に尽力した米国の人々への御礼にエジプト政府から寄贈されたものだそうです。
それから小走りでフランクロイドライト設計によるフランシスリトル氏の別荘(1915年竣工 ミネソタ州ディープヘブン)のリビングルーム展示室に。高さ4.17m、奥行き14m、幅8.53mの部屋は、黄土色のプラスター壁、オーク材を使ったフローリングや長押や家具、レンガの暖炉、銅メッキの窓枠など全体が茶系で配色された部屋が再現されていました。なぜインテリアだけがここにあるかというと、リトル氏没後、大きすぎる家と高い税金、ひきもきらずやってくる見学者などに困り果てていた遺族に、1972年メトロポリタン美術館が救いの手をさしのべ、土地はそのままにこの別荘だけを買い取ったのです。そして、リビングルームの内装を剥がしてもとのように復元したというわけです。建物の外装部分は敷地内の通路に移築してあるそうなのですが見逃してしまいました。
ほんのわずかしか見ることができなかったメトロポリタン。延べ床面積130,000平方メートルという巨大な美術館が国立でも州立でもなく私立であること、300万点という膨大な収蔵品は略奪してきたのではなく、すべて購入したものか寄贈によるものであるということにニューヨーク市民の底力を見た思いがしました。

スカルプチャーガーデン越しにミッドタウンの街並みを見る
  ニューヨーク近代美術館(MOMA
3つ目の美術館はモダンアートの殿堂ニューヨーク近代美術館(1929年開館)。メトロポリタンからは離れているのでバスでの移動を選択。やってきたバスに飛び乗ると、料金の支払いはコインで一人2$とのこと、乗っている間中必死になって財布をかき回しすべてのコインを差し出しましたが、おそらく10人中34人分ぐらい不足だったかと思います。それでも無事目的地で降ろしてもらいました。運転手さんに感謝。
この美術館の設計には、1939年のエドワードDストーンとフィリップSグッドウィン以来、さまざまな建築家が関わってきました。1951年と1964年にはフィリップジョンソンによるイーストウイングとスカルプチャーガーデンの増築、1983年にはシーザーペリによるガーデンウイングの増築、2004年には、国際コンペで日本人建築家谷口吉生氏の案が採用され新館が増築されました。
彫刻展示室
 5階にはモネの「睡蓮」、ゴッホの「星月夜」、ピカソの「アヴィニョンの娘たち」、セザンヌ「水浴する人」など印象派やポスト印象派がずらり。
3階には、建築デザイン、デッサン、写真などが展示されていました。ほかにも、ポスター、映画、商品デザインなども展示されていて、絵画や彫刻にとどまらない幅広いデザイン作品の収集を目指すMOMAの姿勢がうかがえました。

  ザ ブック オブ モルモン
劇場入り口のサイン
夜は、2011年トニー賞9部門を受賞したミュージカル「ザ ブック オブ モルモン」。ホテルから歩い10分ほどのところにあるユージンオニール劇場へ。宗教を題材にしたミュージカルってどうなの?と思っていましたが、これが抱腹絶倒のおもしろさ。
モルモン教のメッカ「ソルトレークシティ」にある研修センターで訓練を受けた若者たちが伝道師として二人一組で世界中に派遣されます。
優等生ケビンプライスが組んだ相手は、モルモン書を読んだことがないという劣等生アーノルドカニングハム。そして、ディズニーランドのあるフロリダのオーランドに行きたいと願うプライスに対して二人の派遣先は北ウガンダの小さな村。貧困、エイズ、軍の圧政などに苦しめられ、神の存在など全く信じていない村人たちに、モルモン教の歴史や教義について説くもだれひとりとして耳を貸しません。そればかりか、悪名高い将軍の手下に荷物を持ち去られたり、将軍に反抗した村人が目の前で殺されたりと災難ばかり。プライスは布教に嫌気がさし、いかなるときもパートナーと一緒に行動するという規則を破って村を出ていきます(実際はバス停で眠ってしまい、村を出てはいないのだが)。置いてけぼりのカニングハムは孤軍奮闘、想像力たくましくモルモン書を解釈し自己流の布教をはじめますが、これが村人の心をつかみ、信者を次々に獲得していきます。一方、勇気を出して説教にいった将軍にひどい目にあわされたプライスは、自暴自棄になって禁じられているコーヒーをがぶ飲みする始末。
開演前のステージ
さて、大勢の信者獲得を表彰するために布教団長一行が村にやってきます。しかし、一行を歓迎しようと村人たちがカニングハムの作り話を劇にして演じたものだからさあ大変。団長は嘘だらけの劇に怒り心頭、ウガンダ支部の閉鎖と伝道師たちの即時帰国を命ずるのでした。
この一部始終を見ていたプライスは、「話が嘘か本当かなんてどうでもいいんだ。そんなことは問題じゃない。どこにも逃げ場がなかった人たちが今は幸せいっぱいで希望に満ちている。これこそがオーランドだ。」と気づきます。
そして、「何かを変えたって、規則を破ったって、神の存在を信じなくたって、このパラダイスのような惑星のために私たちは一緒に仕事をすることができるんだ」とプライス。カニングハムに「君のためなら何でもするよ」と、ウガンダにともに残ることを約束します。
フィナーレでは、プライス、カニングハム、先輩伝道師、村人、そしてあの将軍さえも、モルモン書ならぬ第4の聖典アーノルド書を手に持ち、みんなでtomorrow is a latter dayを高らかに歌うのでした。
曲はどれもすばらしく、特に、カニングハムがボノ(アフリカで貧困撲滅の支援活動を行うロックシンガー)のようになると歌う“I am Africa”と最後の“Tomorrow is a latter day”がいい。観ている人たちをハッピーな気分にさせながら、深刻で複雑な社会問題を抱える人たちに別の世界の価値観やルールを押しつけるのではなく、そうした人々の中に飛び込み、少しでも希望が持てるようともに行動しよう、と観客に呼びかけているようでした。こんなミュージカルを作ったトレイパーカー、ロバートロペス、マットストーンのコンビに拍手喝さいです。

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