2013年12月12日木曜日

8月12日(月) バッファローからケープヴィンセントへ ~マーチンハウスとメープルグローブ~


  マーチンハウスコンプレックス
マーチンハウス東側外観
フランク・ロイド・ライトが設計したマーチンハウスコンプレックスは、デラウエアパークの隣、オルムステッドがデザインしたパークサイド地区にありました。
このコンプレックスは、1903年から1909年にかけてラーキンソープ カンパニーの重役でライトのパトロンだったダーウィン・マーチン氏の依頼により建てられたプレーリーハウス群で、マーチンハウスと、この邸宅と棟続きのパーゴラ、温室、馬車小屋兼御者の家、そしてマーチン氏の妹夫妻の邸宅であるバートンハウス、お抱え庭師の家の6棟からなっています。
コンプレックスを道路から見ると、マーチンハウス、パーゴラ、温室、バートンハウスが南北方向に横に並び、大きく張り出した軒を持つ寄棟屋根、軒下をぐるりとまわる窓、レンガの壁とその笠木、基礎などが様々な高さで層を成しながら水平線を強調してい

左からマーチンハウス、パーゴラ
手前の軒はバートンハウス
ます。
マーチンハウスと庭師の家の間には、日本人建築家トシコ・モリ氏の設計で2009年に建てられたビジターセンターがあります。寄棟を逆さにしたような屋根を持つビジターセンターは、4本の柱だけで屋根を支える独特の構造で、周囲に溶け込むようにガラス張りになっています。
ツアーは、このビジターセンターで映像を見たり、お話しを聞いたりしてコンプレックスの歴史を知ることからはじまりました。「1935年にマーチン氏が亡くなり、遺族がここを去った1937年以降建物は荒れ果ててしまいました。2002年にNPO団体が設立され、以来、修復活動が行われています。」とガイドのリッチさん。リッチさんはここで働く430人ほどのボランティアスタッフのひとりだそうです。
リッチさんの案内でマーチンハウスから見学させていただきました。
 リビングルームに入ると、外に向かって大きく開かれた窓の向こうに、ベランダや庭がよく見え、振り返ると壁のない開放的な空間につながっています。ライトは十字型のプランを採用して、屋外と屋内、あるいは部屋と部屋を仕切る「壁」を取り去り、建物と自然を一体化させ、また、屋内空間を自由に動き回り、家族同士が触れあうことができるようにデザインしたといわれています。

パーゴラの窓はまだ透明ガラスのまま
こうした空間に開放感を与えているのが窓やドアのガラスですが、ただのガラスではありません。樹木や藤の花などをモチーフに、何百という小さなガラスピースを組み合わせてデザインされたアートガラスなのです。“Tree of Life”と呼ばれるこれらのアートガラスは部屋ごとに違う表情を見せていますが、1枚のドアに750ピースものガラスが使われているものもありました。


ビジターセンター内部
そしてマーチンハウスから北に伸びる長さ約30mのパーゴラへ。「ここは、温室や馬車小屋と一緒に2004年から2007年にかけて復元しました。」というリッチさんの話にびっくり。一体そこにどんな歴史があったのか。聞けば、パーゴラ、温室、馬車小屋とその敷地が人手に渡り、1962年に3棟が壊され、そこにアパートが2棟建ったそうです。NPO団体は、2004年から2007年にかけてその敷地を買い取ってアパートを壊し、図面と写真に基づき元の通りに戻したというのです。両脇の窓は1枚だけアートガラスですが、ほかはまだ透明ガラスで、これから寄付が集まったら徐々にやっていく予定だとのこと。2階ではインテリアが手つかずの部屋もありました。必要な費用は全体で50億円、これまで集まった寄付金を除くとあと10億円不足しているらしく私たちの入場料もその助けになるという話でした。
最後に馬車小屋にある売店でおみやげを買い、置いてあった募金箱にささやかな寄付をしてきました。
保存のための市民活動がはじまってから20年余、地道に修復を重ねてきて目標に達するところまでもうひと踏ん張りというところでしょうか。多くの市民の息の長い努力と熱意に敬服します。修復が完了した暁には、ニューヨーク州公園・レクレーション・史跡保存局の支援のもとに運営する予定であるとのことです。こうした行政との連携システムとともに、長い時間をかけた修復の過程で培ってきた修復・維持管理・活用のノウハウや技術の蓄積と、それらを支える専門家としての人材が養成されていることが素晴らしいです。

  メープルグローブ

メープルの木に囲まれて
午後からはバッファローからケープヴィンセントへ。電車の駅や飛行場も遠く、タクシーやレンタカーは3040km先の町にしかないというので、バッファロー空港のエアポートシャトルで向かうことになりました。
大阪のメンバーはバッファロー空港で別れて帰国、残りの92台に分乗。ケープヴィンセントの宿「メープルグローブ」はB&Bですが夏場は食事が出ないため自炊、ということで、バッファローから約1時間のロチェスター郊外にある巨大なフードコート「ウエグマン」で食料を買い込みました。それから4時間車に揺られて午後7時すぎにメープルグローブに到着。所有者のリン&ブルース・テーラーさんご夫妻、管理人のリズ&マーク・ブレナンさんご夫妻が出迎えてくれました。
メープルグローブは4本の角柱がポーチの切妻屋根を支えるギリシャリバイバル様式の白い建物。ケープヴィンセント周辺は、フランス人の宣教師や探検家たちが入植した地域でしたが、ナポレオン戦争後は軍人たちが避難してきました。そして、セントヘレナ島に幽閉されたナポレオンを救い出しこの地に連れてこようとしたのですが、ナポレオンの死でそれが実現しなかったそうです。このメープルグローブもナポレオン軍の将校により1838年に建てられた歴史的建造物です。建物の周りには名前の由来になったメープルの木がたくさんあります。目の前はオンタリオ湖から流れる水がセントローレンス川となる地点にあり、その悠然とした流れを間近に見ることができます。
アン先生はクレイトンのご自宅に帰られるというので、残る8名が5室に分かれて宿泊することになりました。リズさんに案内されて各室を見て回り、使い方を教えてもらいました。部屋も調度品も歴史を感じさせるものばかりでした。
これからフランスの面影漂うこの環境での56日の滞在がはじまります。

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