2013年12月17日火曜日

8月10日(土) バッファロー~デザインシェアワークショップ~



バッファローの皆さんと一緒に
この日は、アメリカ建築家協会(AIA)バッファロー支部/ニューヨーク西部支部、バッファロー建築財団の方々と交流する「2013デザインシェアワークショップ」に参加しました。このワークショップは、①「建築+教育」委員会の活動発表、②バッファローの歴史的建造物「穀物サイロ」のデザインワークショップ、③仙台の歴史的建造物「堤焼登り窯」「旧丸木商店店蔵」の震災復興活動の発表、④亘理町の津波被害と復興状況の発表、⑤福島県須賀川市の小学校での放射線対応の発表、⑥バッファローの歴史的建造物を巡るオープンバスツアー、という盛沢山のプログラムで構成されました。会場のバッファロー市立ディスカバリースクールには、校長先生はじめ「建築+教育」委員会の皆さん、子ども2名とその保護者など20名ほどの方々が集まっていました。また、アン先生から、「建築+教育」活動の推進役ケリー・ヘイズ・マッカロニーさん(2012AIAニューヨーク州会長)を紹介いただきました。ケリーさんは、仙台の震災復興活動への寄付についてAIAバッファロー支部/ニューヨーク西部支部とバッファロー建築財団に働きかけてくれた方です。
以下、各プログラムの概要です。

  「建築+教育」委員会の活動について(発表:リンジー・グラフさん)

「ほら、ここに太陽が」
「建築+教育」活動は、AIAバッファロー支部/ニューヨーク西部支部の活動として2000年に開始、のちにバッファロー建築財団に移行し、財団最大のプログラムとして毎年実施されてきたそうです。活動の目的は、子どもたちを建築家に育てることではなく、総合的に考え行動できる人を育てること。活動は、学校の先生や建築家を対象にしたシンポジウム(動物の家をデザインするなどのワークショップと学習指導計画の発表)、学校でのデザイン学習、子どもたちの作品展示の3つのカテゴリーで構成され、これまで建築家75人、1462クラス、2000人の生徒がこのプログラムに参加してきたそうです。
バッファロー市立学校とのコラボレーションで行われるデザイン学習のカリキュラムは、ニューヨーク州の学習指導要領から1教科と1テーマを選んで作成しています。
たとえば、ディスカバリースクール1年生の「ほら、ここに太陽が」では、科学の中から「太陽」をテーマに取り上げ、問題解決法、縮尺比と比率、パターン、色彩などを学んでいくことができるようにカリキュラムを組んでいるそうです。また、こうしたカリキュラム作成と授業指導は、学校の先生、ボランティア建築家、バッファロー大学の学生がチームを組んであたっていて、評価については各先 生に評価シートを渡し、学習の前後にテストをすることで学習の効果を測る、ということでした。

拡大して窓の光をデザインする
  ディスカバリースクールの校長先生は「このようなデザイン学習は子どもたちにとても良い影響を与えています」とおっしゃっていました。学校と建築家と大学が連携して組織的に活動を継続しており、2013年には、建築を多様な領域に発展させている活動を表彰するAIA National Diversity Recognition Awardを受賞したということですが、そうした賞に値するとても優れた活動だと思いました。
そして、この発表の中でリンジーさんが「建築+教育」活動の原点となる理念として紹介された次の言葉が心に留まりました。
Tell me and I forget, Teach me and I remember, Involve me and I learn”(言われたら忘れます。教えられたら覚えます。参加できれば学ぶことができます。byベンジャミン・フランクリン)
Education is not filling a pail, but the lighting of a fire”(教育は器を埋めることではなく、火を灯すことである。byウイリアム・バトラー・イーツ)

  バッファローの歴史的建造物「穀物サイロ」のデザインワークショップ
 解説・指導:ポール・ドドカウスキーさん(建築家)、スー・ランドウェアさん(教師)
 <サイロの歴史と再利用の取組み>

使われなくなった穀物サイロ
1825年、エリー湖からハドソン川の上流まで全長580kmを結ぶエリー運河が開通したことにより、バッファローは中西部の穀倉地帯とニューヨークシティなどの東南の都市部との流通拠点となり穀物産業が発展。特に、1840年にジョセフ・ダートが開発した穀物エレベーターを使った大型サイロが建設されてから、穀物産業は飛躍的な成長をとげ、1920年代にはそのピークを迎えたそうです。
しかし、1950年代のウエランド運河(ナイアガラ川東部のカナダ領に開削されたエリー湖とオンタリオ湖を直接つなぐ運河)の整備と、1959年のセントローレンス川航路の開通によって五大湖と大西洋が直結。これによってエリー運河とバッファローの位置的なメリットが失われ、バッファローの穀物産業は次第に衰退、サイロは放置されたり、壊されたりしていきました。しかし、今も残るサイロを守っていこうと、ロッククライミング、映画、映像アートなどに活用する試みや、子どもたちのデザインワークショップも行われているそうです。そこで私たちもこのサイロの利活用を考えるワークショップに挑戦することになりました。
机いっぱいに並べられた、様々な色や形や質感の素材










ポールさんから出された課題は「穀物サイロを集合住宅にデザインする」というものでした。穀物サイロは、1本が直径9m、高さ55mの大きさだそうです。用意されていたのが写真の材料です。円柱形のものは、ラップの芯を大きくしたような硬い素材で、サイロをイメージしやすいものでした。他にも竹ひごやドーナツ型に切った色画用紙、モールなど充分な材料がありました。中でも興味深かったのは、食用として販売されている、キャンディーくらいの大きさのマシュマロでした。制作するときは柔らかくいくらでも整形しやすいのですが、乾燥して硬くなることから、構造材として用いたり、飾りとして用いたり重宝するそうです。
完成した集合住宅の模型
私たちも子どもになったつもりで奮闘すること約1時間、白と黒のコントラストが斬新な低層の集合住宅、サイロの円形を組み合わせて開かれた庭をつくり、円形の上部に天窓と屋上庭園を持つ集合住宅、低層のパブリックスペースと高層の集合住宅をデッキでつないで一体化したものなどそれぞれの作品ができあがりました。
これらの作品は、「建築+教育」の活動のデモンストレーションとして銀行の展示スペースに飾られるそうです。

 仙台の歴史的建造物「堤焼登り窯」「旧丸木商店店蔵」の震災復興活動の発表
仙台の震災復興活動についての発表
ネットワーク仙台の震災復興活動に対して多大なるご寄付をいただいたことについて感謝の気持ちを述べたのち、被災以来取り組んできた、堤町の登り窯と南材木町の旧丸木商店店蔵の修復活動の様子を発表しました。

「堤焼登り窯」「旧丸木商店店蔵」のどちらの建造物も、まち探検ワークショップを行ったときにその存在を知り、デザイン学習であったり、まち探検であったり、学校教育の総合的な学習への活用を図る活動の一環として、深く関わりを持ってきたことを報告させていただきました。
震災により多くのダメージを受けた歴史的建造物に対して様々な復興活動を行う中で、建築と子供たちの理論に基づくデザイン学習を行うことは、感覚だけでデザイン学習を行いがちな日本の教育活動に比べ、有意義であったことを参観者に知ってもらうことができたのではないかと思います。

  亘理町の津波被害と復興状況の発表
宮城県亘理町荒浜在住で建築家の尚(ひさし)さんが、津波により自宅兼事務所が被災したときの被害状況や、復興に向けた市民活動の様子を発表しました。ご自宅を被災されたにもかかわらず、地域の人々を手助けするためNPOを立ち上げられた尚さんの発表は、震災の恐ろしさ、被害の甚大さを知ってもらうには大変説得力のあるものでした。そして、今後も、地域の建築家として、被災した地域住民の一人として地域の人たちと協力してコミュニティーの再生に尽力していきたいと、故郷復興への想いを述べました。

福島県須賀川市での教育現場における放射線への対応について
福島県須賀川市立小学校教師の和恵さんが、津波の被害はなかったものの、原子力発電所の崩壊に伴う放射線被爆の被害に苦しむ福島県の実状を教育現場に特定し、報告しました。放射線という目にみえない恐怖は、子どもたちの元気な活動を制限し、心身共に大きなダメージを与えました。制約の多い中、教職員は様々な工夫をしながら、本来の学習活動ができるよう日々取り組んでいることを伝え、デザイン学習が子どもたちに元気を与える復興教育の一つとなってほしいと願っていると発表しました。
どの発表にも会場のみなさんは熱心に耳を傾けて下さいました。

⑥ バッファローの歴史的建造物を巡るオープンエアバスツアー
オープンエアバスでさあ出発
午後からは、ワークショップに参加した方々と一緒に歴史的建造物を巡るバスツアーへ。
 わずか2時間の旅でしたが、ヘンリー・ホブソン・リチャードソン、ルイス・サリヴァン、フランク・ロイド・ライトというアメリカ建築界の三大巨匠といわれる建築家が設計した建物がこの街で同時に見られることにまず驚きました。また、ギリシャリバイバル、ビクトリアン、セカンドエンパイア、ゴシックリバイバル、アール・デコ、インターナショナルなど様々な建築様式の建物が次々にあらわれて街全体が建築博物館のようになっています。あのセントラルパークをデザインしたフレデリック・ロー・オルムステッドがこの街の公園システムをデザインしており、ツアー途中でオルムステッドがデザインした公園も垣間見ることができました。
 バッファローはエリー運河の開通以降、穀物・製粉産業や鉄鋼業などが栄え、経済も文化も大いに発展したそうですが、こうした歴史的建造物群を見ていると当時の繁栄ぶりをうかがい知ることができます。

  ウィルコックスマンション
「ここでセオドア・ルーズベルトの就任式が行われました」とガイドさんが指さす先に、6本のドーリア式円柱がポーチの切妻屋根を支えるギリシャリバイバル様式の建物がありました。この建物は、1838年から1846年まで軍隊の兵舎や宿舎として使われたのち、1878年から1930年までウィルコックス家の邸宅となっていたそうです。なぜここでルーズベルトが就任式をすることになったのか?そのわけは、1901年、バッファローで開催されたパンアメリカン博覧会に出席していたマッキンリー大統領が凶弾に倒れたからです。副大統領だったルーズベルトは急きょバッファローに駆け付けましたが、すでに大統領は息を引き取っていました。すぐに大統領職を継ぐ必要にせまられたルーズベルトは、宿泊していたウィルコックス邸で就任式を行ない第26代大統領となったのです。現在、ここは国立史跡として一般に公開されています。

  ギャランティービル
ギャランティビル。左はセントポール教会
この建物は、ルイス・サリヴァンとダンクマール・アドラーの設計により1895年~1896年に、当時としては画期的な13階建として建設されました。19世紀の建物は上層の荷重を壁で支えるという構造のため高さが低く抑えられていましたが、サリヴァンは当時量産されるようになった鉄を使い、鉄骨造にすることによってこのような階数の建物を実現させました。
また、外壁を「壁」ではなく、テラコッタとガラスでつくる「スキン」とすることにも成功しました。ガラスの開口部は、フラットルーフから弧を描いてせり出したコーニスの直下に連続した丸窓、中間階は各階の腰壁・窓を全体としてひとつの縦長アーチ窓のようにみせ、低層階は大開口窓というように大きく3つにわかれています。テラコッタには、花や植物などの自然と幾何学形をモチーフにした装飾が施されていて遠目からもその美しさが際立っていました。このような建築様式はサリヴァン独自のもので、サリヴァニスクスタイルと呼ばれているそうです。
 ギャランティービルの隣には、リチャード・アップジョン設計によるセントポール教会(ゴシックリバイバル様式/1851年竣工)が建っています。

  旧バッファロー州立精神病院/リチャードソン・オルムステッド・コンプレックス
2本の尖塔を持つ管理棟
この建物は、バッファロー州立精神病院やバッファロー精神医学センターなどとして1970年代(管理棟は1990年代)まで使われていました。設計はヘンリー・ホブソン・リチャードソン。建設開始は1871年ですが、完成はリチャードソン没後9年経った1895年でした。管理棟を中心に東西にそれぞれ5つの病棟(東側の3棟は1969年に解体)をV字型に配置し、病棟間を曲線形の廊下でつなぐこのプラン(提唱者の医師の名前をとってカークブライドシステムと呼ばれる)は、患者の病状のステージにあわせて病棟を使い分けることができる上に、病棟に充分な採光と換気や家庭的な雰囲気をもたらすことができました。また、廊下と病棟の間に設置した鉄扉は防火の役目も果たしました。管理棟の2本の尖塔、重厚でごつごつした赤褐色砂岩の壁(予算の関係で外側の病棟はレンガ造になっている)など、リチャードソニアンロマネスクと呼ばれる建築様式の特徴を表しているのだそうです。
82haの敷地のランドスケープデザインは、フレデリック・ロー・オルムステッドとカルヴァート・ヴォーによるもの。建物の南側にはレクリエーションスペースや庭が配置され、緩やかな曲線を描く道がそれらをつないでいます。北側には敷地の半分にあたるほどのセラピー農園(現在はバッファロー州立大学のキャンパス)を配置しました。患者たちは、この農園で野菜や植物を育てることで心を癒したのでしょう。オルムステッドは、この敷地の東側に広がる約140haのデラウエア公園をはじめとする3か所の公園と、それらをつなぐパークウエイと街路、といった公園システムもデザインしていますが、この病院の敷地もデラウエア公園とともに市街地の北側に広大なオープンスペースを創出する都市計画のひとつとして考えられたものといわれています。
2006年、ニューヨーク州による100億円の基金(一部はマーチンハウスなどの修復費用にあてられた)と、活動母体となるNPO団体が立ちあがったことにより、修復と再利用に向けての動きが始まっているそうです。「10年後にもう一度きてください。復興した姿をお見せできます」とガイドさん。その眼が輝いていました。
 19世紀から20世紀にかけての、斬新なアイデアと当時の最先端をいく技術で造られた建造物がこんなにたくさん残っていることがすごい。しかし、それ以上にすごいのが、これらの歴史的建造物を後世に残していこうとする市民と建築家などの取組みです。11日に見学したマーチンハウスも修復中、1929年から1979年まで使われていたバッファローセントラルターミナル駅(今回見られなかった建物。17階建てアール・デコ様式)もNPO団体により修復が進められています。このようにひとつひとつが大規模で相当な費用と長い時間がかかる修復をいくつも同時併行で進めている、そのことに驚かされました。
マンション・オン・デラウエアアベニュー(ホテル)
1870年建設/ジョージ・アリソン設計
セカンドエンパイア様式
市庁舎(32階建て)
1931年建設/ジョン・ウェ―ド設計
アール・デコ様式

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