吉成小学校6年生82名は、津波で被災した仙台市沿岸部の仮設住宅や、歴史的建造物が被災した仙台市内陸部の堤町地区の現場に行き、住民への取材や復興活動の体験を通して、復興に向けて頑張っている人達の思いや課題を地域に発信していくマガジンづくりに取り組んでいました。学校からこの内容を深めるための活動について相談された建築と子供たちネットワーク仙台は、10月下旬からお手伝いすることになりました。
2012年10月31日(水)
この授業では、これまで取り組んできたマガジンづくりの途中経過を発表し、それに対して、ネットワーク仙台の渋谷セツコさんから感想を言ってもらい、よりよいマガジンづくりに取り組んでいこうというものでした。渋谷さんは、亘理町の自宅が津波で壊れた被災者でもあり、そうした立場からの率直な意見もほしいということでした。
「ここは田んぼだったんだよ」と萱場さん |
その後、吉成小5年生の図書箱を東六郷小に贈る活動、台原小などの子どもたちの堤町登り窯での修復活動、南材木町小3年生の旧丸木商店の格子壁のデザイン活動など、子どもたちが取り組んできた震災復興活動のようすや、仮設住宅には農家の人達が多く住んでいること、周辺の畑が復興している状況などを話しました。こうしたプレゼンテーションのあとに、これからどんな活動が必要と思うかをポストイットに書きだしてもらったところ、「もう一度現場を見に行く」「農家の人の話を聞く」「野菜をもとにしたものを作りはげましたい」などの積極的な意見を引き出すことができました。
元気に育った仙台白菜 |
南蒲生浄化センターの被災状況を聞こう
2012年11月21日(水)
南蒲生浄化センターの被災状況を話す鈴木さん |
もう一度現場に行こう
2012年11月26日(月)
その後、櫛の歯が抜け落ちたような松並木、ぺしゃんこになった車の山、被災した荒浜小学校などを車窓から見ながら、荒浜地区の萱場哲夫さんの畑に向かいました。萱場さんは仙台白菜や曲がりネギなどの仙台伝統野菜の栽培に力を入れています。この畑も震災後1年を経過してようやく作物が作れるようになったそうで、訪れたときには白菜やネギがまもなく
収穫をむかえようとしていました。小ぶりで可愛い仙台白菜の隣には、いつも店で売っている大型の白菜が並んでいます。
子どもたちはこんなにも大きさが違うのかと両方を見比べていました。萱場さんは、津波をかぶった畑でも野菜が立派に育っていく様子を見て植物の力、野菜の命を感じたそうです。次に萱場さんが案内してくれたのは畑の隣にある田んぼでした。ここは、表土が剥ぎ取られ除塩が終わったということですが、足で掘ってみるとどこまでも砂だらけの土なのです。
田んぼの復興はまだまだ時間がかかることを思い知らされました。最後は南蒲生浄化センターの近くまで行き、工事中の大型クレーンが動くようすを遠目で見ました。本格的な処理がはじまるまで4〜5年かかるという鈴木さんの話を思い出しながら、汚水を少しでも減らすために私たちはどんなことができるのだろうかと考えながら学校に戻りました。
沿岸部から離れている吉成小にいるとわからなかった復興への長い道のり、そして農業への誇りを持ち復興に取り組んでいる農家の人たちの思い。それを肌で感じることができた旅でした。
野菜の断面を描こう!
2012年3月5日(火)
これまで総合学習に取り組んで来た6年生が卒業間近となった3月5日、元気の出るマガジン完成報告会が吉成小学校で行われました。
この日お披露目されたマガジンは、「Happy Life」という題の8ページカラーの力作で、みんなの家館長の平山次雄さん、佐藤吉夫さん、佐藤はつみさんなど、これまでお世話になった復興に向けて頑張る人たちが取り上げられていました。
子どもたちは、「登り窯の復活祭に参加したときの火入れ式を見て嬉しかった。元気の火を分けてあげたいと感じた。」「登り窯のライトアップされた様子をもっとみんなにみてもらいたい」「断面図を描くことで、改めて野菜の力を感じた」「元気が出るマガジンをつくっていたけど、自分たちが元気をもらったような気がします」など、1年間の成果を発表しました。
子どもたちの発表や完成した作品には、震災で被害を受け立ち上がろうとしている現場や、頑張っている人に会いにいったり、自ら足を運んできた子どもたち一人一人の想いが詰まっていました。一回り大きくなった子どもたちの姿がありました。
発表のようす |
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