2023年6月17日土曜日

船場街歩き~道修町と適塾を訪ねて~②適塾

2023年6月17日(土)

<適塾>

街歩きは午後1時から、まずは適塾(旧緒方洪庵住宅/重要文化財/大阪大学管理運営)へ。昨年は時間が取れずに適塾の外部を見ただけしたが、今回は内部も見学することができました。ここからは名古屋と仙台から2名が加わりました。案内役は昨年もお世話になった大阪観光ボランティアガイド協会の藤井さんです。

洪庵は、内科学、病理学、予防医学の発展に多大な貢献をしただけでなく、優れた教育者でもありました。適塾は蘭学を学ぶ教育の場として洪庵により1838年に開設され、橋本左内、大村益次郎、福沢諭吉など、日本の近代化を支えた人々がここから輩出されました。

建物は、間口12m、奥行き40mで、通りに面して木造2階建ての塾と、その奥に平屋一部2階建ての住宅部分があります。

さっそく、玄関から教室を抜けて中庭へ。塾と住宅の書斎が中庭を囲んでいます。中庭を抜けると応接間や客座敷が連なっていました。客座敷は隣の家族部屋とともに、植え込みがある前栽(せんざい)に面しています。1階の最後は台所へ。ここにも玄関から通り抜けができる内庭があり、そこに竈や井戸が並んでいました。

中庭の奥が教室(1階)と塾生大部屋(2階)
左は住宅の書斎

客座敷から見た前栽

台所から急な階段を上がって2階へ登ると、屋根の上に物干し台が見えました。でもどこからも行けないようなのです。藤井さんによれば、後年増築された部分を撤去したときに物干し台に行き来ができなくなってしまい、今は梯子をかけて上り下りしているそうです。福沢諭吉はこの物干し台で酒を飲んでいたとか。

屋根の上の物干し台

女中部屋を抜けてヅーフ部屋へ。ここは、長崎出島のオランダ商館長ヅーフが作成した蘭和辞書が置かれていた部屋。貴重な辞書は適塾にも1部しかなく、塾生たちはそれを奪い合うようにして蘭学を学んでいたらしい。
そして、塾生大部屋へ。そこに塾生名簿が展示されていました。北海道から九州まで全国各地から集まった人数は629人。そのなかに福沢諭吉や手塚良庵の名前を発見しました。 
広い空間の真ん中に柱が1本。この柱よく見ると刀傷らしきものが多数あり、柱の中央付近が細くなっていました。血気盛んな若者たちの痕跡。

塾生大部屋
右手奥は玄関に降りる急な階段(手すりの勾配に注目)

刀傷で細くなった柱

後日取り寄せた「陽だまりの樹」の第1巻では、塾生の一人が良庵の刀を奪い、柱目掛けて振り降ろすという、この刀傷を題材にしたシーンが描かれています。
適塾の東西に2か所公園があります。これは、蘭学塾唯一の遺構を保護するため、大阪大学、大阪市、財界等が協力して、適塾に隣接して建っていたビルを撤去して昭和61年に史跡公園として開園されたものだそうです。

和風庭園風の東側公園

緒方洪庵像が設置されている西側公園
後方に適塾建物と物干し台が見える

除痘館の川上さんのお話では、年月が経ってかなり傷んでいた適塾の建物を修復するにあたり、洪庵当時の図面は一切残っておらず、おまけに持ち主が何度も変わり、どこまでが当時の姿でどこまでが後年手を加えたものなのかを見極めるのが難しかったそうです。さらに、適塾を別の場所に移築する計画が持ち上がりました。しかし、移築してしまってはこの地にあってこその歴史的価値が失われるということで反対。その結果、ここに残ることになったのだそうです。大阪大学はじめ関係者の皆様のご苦労とご努力、情熱と熱意のおかげで今があると修復に携わった方々に感謝しなければならないと思いました。





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