2023年6月17日土曜日

船場街歩き~道修町と適塾を訪ねて~①除痘館記念資料室

2023年6月17日(土)

6月18日のネズミの家のワークショップに先立ち、大阪船場にある道修町(どしょうまち)と適塾を訪ねました。

<除痘館記念資料室>

この日の午前中、道修町にある除痘館記念資料室を訪問。除痘館は、緒方洪庵により1849年に大阪古手町に開設されたのち、1860年に、洪庵の蘭学塾「適塾」南側に移転したそうです。今は除痘館の建物は残っていませんが、その跡地にある緒方ビルの4階に記念資料室(緒方洪庵記念財団管理運営)がありました。フロリダ、大阪、仙台から8名が参加。川上潤さん(記念財団専務理事・事務長)に、除痘館の歴史などについてご説明いただきました。

つい3年前、私たちは、新型コロナで感染症の恐ろしさを思い知らされたばかりですが、昔は、コレラ、スペイン風邪、天然痘など未知の病の感染症が猛威をふるい、人々を恐れさせていました。緒方洪庵は、当時多数の死者を出していた天然痘の予防のため、エドワード・ジェンナーが開発した牛痘種痘法を普及させようと、ここを一大拠点として、同志とともに180か所余りの各地で除痘館活動に心血を注いだのだそうです。

いただいた資料のなかに「扶氏医戒之略」がありました。これは、ドイツ人医学者フーフェラントの著書を洪庵が和訳、その後半部分を洪庵が要約したもので、「医の世に生活するは人の為のみ、をのれがためにあらずということを其の業の本旨とす」にはじまる第1条から12条まで医家としての心得を説いていて大変興味深く拝見させていただきました。

また、大阪という街を知るうえで参考になったのが「大阪よもやま話」でした。1909年にメリヤス業者の家から出火して堂島川沿いに燃え広がり1万1365戸が焼失したという「北の大火」や、その大火の影響や、動物の鳴き声や臭いなどへの苦情から、本町橋あたりにあった動物園(1884年開園)を、1914年、現在の天王寺動物園がある場所に移転することになり、ほとんどの動物は車などで移動できましたが、ゾウの段平くんだけは4kほどの道のりを10時間かけて歩かせることになりました。道中、段平くんはいろいろなものを壊すので、後ろに大阪市の職員がつき、壊れたものを直しながら行進していったとか。

おみやげに、除痘館の種痘風景の想像図が描かれたクリアファイルをいただきました。その絵には手塚治虫「陽だまりの樹」と書いてありました。

のちに調べると「陽だまりの樹」とは、幕末から明治に至る激動期を生きた若者たちを、手塚治虫の曽祖父手塚良庵をモデルに描いた手塚治虫作の長編漫画。良庵は適塾の塾生であったとのことでした。ファイルの絵は手塚治虫没後に、手塚プロダクションのアニメーターの方に描いていただいた除痘館のオリジナル作品だそうです。

川上さんのお話に引き込まれ気が付けば予定時間をオーバー、次の街歩きの時間が迫っていました。展示資料を拝見することもできず資料館を後にしたことが悔やまれます。

川上さん、貴重な時間を割いてご説明いただき本当にありがとうございました。

除痘館記念資料室は緒方ビルの4階にありました


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