2023年6月18日日曜日

建築と子供たちワークショップ「ネズミの家をデザインしよう!」

2023年6月18日(日)

このワークショップは、アメリカのニューメキシコから大阪に引っ越してきたネズミのために家をデザインするというものです。

会場は「一心寺南会所」(大阪市天王寺区逢阪2-7-17)。天王寺公園や天王寺動物園に隣接するお寺のイベントスペースです。参加者は1年生から5年生までの小学生13名。指導は渋谷セツコさん(建築と子供たちネットワーク仙台)。司会は細田牧江さん(建築と子どもたちデザインLABO関西)。ゲストにフロリダから酒井敦子さん(南フロリダ大学ジュディ・ゲンシャフトオーナーズカレッジ教育専門准教授)をお迎えしました。子供たちのほか、大阪、仙台、名古屋から10名のスタッフと保護者11名が参加しました。また、仙台、新潟、宇都宮から4名がオンラインで参加し、ワークショップの様子を視聴しました。

ネズミさんのお手紙と天王寺公園の紹介
はじめに、細田牧江さんがクライアントのネズミさんの手紙を読み上げました。
「ぼく、ネズミのRIO  リオって呼んでね。アメリカのニューメキシコから大阪に引っ越してきたんだ。天王寺公園には水辺があるよね。ぼくはリオグランデ川のそばにすんでいたから、水辺があって緑が多いここの環境がとても気に入ったよ。
だからここに家を建てたいと思う。みんな、ぼくの家をデザインしてくれない?
家は、ニューメキシコの古い家みたいな日干しレンガづくりがいいな。それはアドビって言われているんだよ。どんな家ができるかとても楽しみ chuh」
そして、天王寺公園には子供の遊び場やカフェなど子供も大人も楽しむことができる芝生広場「てんしば」や、林泉回遊式庭園の慶沢園、緑豊かな茶臼山と山裾の池などがあることを映像で紹介しました。

ニューメキシコとアドビの家
ネズミのリオ君がすんでいたというニューメキシコについて酒井さんからお話がありました。アメリカの南西部にあるニューメキシコは、メサと呼ばれる台地、平原、渓谷、峡谷、山、森林、河川など変化に富んだ地形が広がっているそうです。そうした地形を利用して、台地の断崖に築かれたメサベルデの岩窟住居や、渓谷に築かれたチャコキャニオンの集落群など、アメリカ先住民プエブロ族の先祖アナサジ族の遺跡の写真を見せていただきました。断崖に見られる土は、赤や黄などの様々な色の層になっていました。
「先住民の人たちの家は、アドビといって周囲の土を日干しレンガにして、それを積み重ねて作っていました。ですので、レンガも土の色と同じで赤や黄など様々な色になり、周囲の自然環境に溶け込んでいます。屋根は木と草と土で作ります。年間300日以上も雨が降らないのでそれでも大丈夫です。現在はそうしたアドビスタイルを守りながらも、今の暮らしに合わせた家が作られています」

ニューメキシコについて説明する酒井さん
写真はアルバカーキで開催される国際バルーンフェスティバル

黄色や赤色の土が層になっている断崖

メサベルデの岩窟住居

クライアントの願いやニューメキシコの自然環境やアドビの家のお話を聞いた後は、いよいよネズミの家をデザインするワークショップの時間になりました。

ステップ1:バブルダイアグラムを描く
はじめに、渋谷さんから説明がありました。「ネズミの家に必要な部屋は玄関、リビング、寝室、お風呂、食品庫ですが、そのほかに必要だと思う部屋があれば足していいですよ。バブルダイアグラムは建築家がデザインのはじめに描く図で、どのような部屋をどのように並べていくのかを考えながら描いていきます。バブルダイアグラムは、部屋をバブル(泡ぶく)の形で描きます。大きい部屋は大きいバブルで、小さい部屋は小さいバブルで描いてください」「部屋と部屋の間をネズミが動くところは矢印で表し、行き来が多いときは太く、少ないときは細くします」「描くときは鉛筆ではなく、黒マーカーを使います。直したいときや、もっといい考えが浮かんで来たら、描いた紙の上にトレーシングペーパーを重ねてその上に描いてくださいね」

さっそく、子供たちはバブルダイアグラムでネズミの部屋をデザインしていきました。与えられた部屋のほかに、キッチン、洗面所、トイレ、プールなども加え、太い矢印や細い矢印を使ってネズミの動線を描き、バブルダイアグラムは段々と出来上がっていきました。なかには、トレーシングペーパーを使ってバブルダイアグラムを描き直す子、三角屋根を持つ立面にひみつの部屋を描く子、外でどろんこになってもきれいにしてから家の中に入るように玄関とお風呂を一緒にした子などいろいろな工夫がなされていました。

バブルダイアグラムの描き方

トレーシングペーパーを重ねて描き直しています

平面プランも考えました

ステップ2:模型作り
バブルダイアグラムが出来たら、次は模型作りです。午後のワークショップが始まる前に、午前中、スタッフ全員で、日干しレンガに見立てた粘土ブロック作りに汗を流しました。ブロックは、ひとつ3cm ×1.5cm ×1.2㎝で、ひとり当たり100個を用意。
はじめに、渋谷さんが、粘土ブロックを重ねて壁を作る様子を実演して見せました。ブロックとブロックの間はスチレンノリで接着させます。
ブロックのほか、スチレンボード(敷地用)、ジオラマモス(植栽用)、バルサシート、コルクシート、リップルボード、色画用紙、折り紙、小枝、割りばし、毛糸など様々な材料を準備しました。
子供たちは、バブルダイアグラムを脇に置いてそれを見ながら、模型を作っていきました。縮尺の代わりに、紙で作ったネズミの模型を使いました。

壁や入り口の作り方を教える渋谷さん

バブルダイアグラムを見ながら壁を作っていました

壁が出来たら屋根を作り、家の周りに木や草を植えます

どの子も粘土ブロックを積み上げることに苦戦していたようです。でも全員壁を作り、屋根をのせ、家の周りや屋根の上に木や草を植えて思い思いの家が出来上がってきました。

子供たちに作品について発表してもらいました。好きなところは「緑がいっぱいなところ」、見せたいところは「庭に作った畑」、工夫したところは「屋根を折りたたみ式にした」「雨の日も遊べるように家の中に木を植えた」など、各模型にはたくさんのアイデアが盛り込まれていました。

いろいろなところで遊んでほしいと、何層にも重ねて作った家がありました。この家について、酒井さんから「デザインするときは、クライアントのことをよく考える必要があります。この家は人間とは違う動きをするネズミのことをよく考えていますね」というおほめの言葉をいただきました。

午後1時15分から4時15分までの長丁場。休憩時間も休まず、図を描き、模型を作り続けたみんなよく頑張ったねと、会場とオンライン参加の大人たちから大きな拍手をもらいました。
そして、作品を全部集めてみると、ニューメキシコ先住民のプエブロの人たちが住んでいた村のようになりました。

終了後、子供たちは、作品を大事そうに抱えて笑顔で帰っていきました。


子供のアンケート(抜粋)
  • むずかしかったところは、ねん土とねん土の間にすきまをあけないようにしたところです。工夫したところは、げんかんに入るまでのかいだんをねずみがとおりやすいようにスロープにしました
  • レンガをつんでいくのがむずかしかったです。かんせいしてすごかったのでたのしかったです。にわにバーベキューをつくったのをくふうしました
  • ぐちゃぐちゃになったけどむずかしくてもがんばった。バブルダイアグラムがすごいおもしろい
  • 作るのがとても楽しかったです。レンガをつなげるところがむずかしかった。やねを工夫して作った。またやりたいです
  • バブルダイアグラムをつかって考えるのが楽しかったです。レンガをつかって壁を作るのがむずかしかったです。でもとても楽しかったです。次はレンガから作りたいです
  • バブルダイアグラムを考えて、模型をつくるのが楽しかった!!
  • やねを作ったらおりたたみしきになってびっくりした。もう1回作りたいと思った!!作るのが本当に楽しかった
  • たのしかったところは、ネズミの家を作れたところです。むずかしかったところは、ざっそうや、やねを作るところでした。工夫したところはかぐ(家具)です
  • きれいにできてよかった。またやりたい。やねをきれいな色のおりがみにできてよかった。いっぱいくふうできてよかった
保護者のアンケート(抜粋)
  • 子供達のアイデアや発想力が思いのまま出来ることと、考え、思いを発表する時間もあり、参加させて頂いて良かったです
  • 建築の知識が無いながらも分かりやすい説明と、子どもたちの楽しそうな姿が最高でした。レンガの積み方など、私の仕事でも活きてきそうな内容もあり、物作りをする身としては、すごく勉強になりました
  • 大人が聞いていても楽しい内容でした。完成した作品を見てこんなにもデザインに個性が出るのかと見ていて興味深かったです
  • 最初の説明が、所々子供にはむずかしい言葉がありました。作りはじめて見ていたら自分も作りたくなった
  • 時間が足りなかった。子供にとって初めて誰かのために家を作るという体験をさせていただけて、とてもいい経験になりました。ニューメキシコの写真や話が聞けてよかったです
  • 図面にイメージを描き、形を作る工程が、脳に刺激を与えるいい経験ができたと思います。どんなこともほめて頂きありがとうございました
  • 建築家になりたいと、よく将来の夢を語るのですが、実際に建物をつくったりすることがなかったので、そのようなワークショップがあればいいなーと日々探しておりました。物作りが大好きな娘にとって、とても楽しい時間だったと思います







屋根をはずして撮影






ニューメキシコのプエブロの村のようになりました

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ぼくの家をデザインしてくれたみんなへ
ぼく、どの家もとっても気に入ったよ
さっそく住んでみたいな
懐かしいニューメキシコを思い出すアドビの家
すてきな家をデザインしてくれてありがとう!chuh
                    RIOより
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リオ君から届いたお礼の手紙

2023年6月17日土曜日

中之島リバークルーズ

2023年6月17日(土)

船場街歩きのあと、午後4時から中之島を船で巡りました。出発地点は八軒家浜船着き場。ここは、平安時代、渡辺の津と呼ばれ、京都からの人々が船を下り、熊野古道へ発つ起点として、大阪の水運と陸路を繋ぐ交通の要所でした。江戸時代には、京都と大阪を結ぶ舟運の要衝として賑わい、八軒の船宿があったことから八軒家浜と呼ばれるようになったそうです。  

そんな由緒ある浜から、フロリダ、大阪、名古屋、仙台の11名とボランティアガイドの藤井さんの12名が1時間の船旅へ。八軒家浜を出発し、天満橋の下を通って寝屋川に入り、徳川時代の大阪城の石垣付近を航行。石垣には大小の穴がたくさん開いています。排水口かな?と不思議に思っていると、別の方が「大きい穴は城の抜け穴かも」と話されているのを聞き、そうかも知れないと思いました。城は直接見られませんでしたが、その代わり川の反対側のビルに映る城を見ることができました。

ビルに映る大阪城

それから方向転換して土佐堀川へ。ここから中之島公園を右に見ていくつか橋の下を通り抜けていきました。最初の橋は天神橋。中之島公園の東端にある美しいアーチ橋です。次は、ライオン像が設置されていることで有名な難波橋。天満橋、天神橋、難波橋の3橋は、江戸時代の公儀橋(幕府管理の橋)で、難波三大橋として今も親しまれています。難波橋の次は栴檀木(せんだんのき)橋、街歩きの時に最初に渡った橋です。難波橋と栴檀木橋の間から大阪市中央公会堂が見えました。淀屋橋と錦橋に差し掛かると、船頭さんから「日傘は畳んで、頭を低くして」と注意がありました。なるほど頭がぶつかりそう。満潮時にはここは通れなくなるそうです。

土佐堀川を行く
右手の緑は中之島

土佐堀川から見た中央公会堂

淀屋橋の下を通る
頭がぶつかりそう

錦橋もかなり低い
奥に見えるのは肥後橋

その後、肥後橋、常安橋、土佐堀橋、湊橋を次々に通り、昭和橋を左に見ながら中之島の西端を回って堂島川に入りました。堂島川は、上船津橋、堂島大橋、玉江橋、田蓑橋、渡辺橋、ガーデンブリッジ、大江橋、水晶橋、鉾流橋、難波橋、天神橋という順で橋の下を通り抜け八軒家浜に戻るコースです。途中、大阪国際会議場、大阪中之島美術館、大阪中之島図書館、ダイビル本館、中之島ダイビルや中之島三井ビルなどの超高層ビルを眺めることができました。ダイビル本館は旧本館ビルを低層に再現して建てられた高層ビルで、9割ほど移設されたという低層部外壁のスクラッチタイルが美しい建物です。

土佐堀川から堂島川へ
左はぽんぽん船船着き場 その奥に昭和橋が見える

堂島川から見た中之島の高層ビル群 
右下に少しだけ見えるのがダイビル本館、左へ中之島ダイビル、中之島三井ビル、中之島三井ビル、住友中之島ビル、フェスティバルゲートタワーが続く
手前の橋は渡辺橋

猛暑のなかを、街歩きやクルーズのガイドをしていただいた藤井さん、今年もお世話になりました。ありがとうございました。

船場街歩き~道修町と適塾を訪ねて~③くすりの道修町資料館

2023年6月17日(土)

<くすりの道修町資料館>

適塾のあとは、くすりの道修町資料館に行きました。くすりの道修町資料館は、昨年の街歩きの際に立ち寄った少彦名(すくなひこな)神社の社務所ビル3階にありました。少彦名神社の場所は江戸時代、薬種仲買仲間の寄合所だったこともあり、300年前から保存されてきた文書など、道修町に関する諸資料を町全体で保存し公開しようと、1997年、ここに資料館が開館されることになったそうです。

館内は、道修町がくすりの町と呼ばれるようになった歴史や、道修町ゆかりの人々、昔の家庭薬などが展示されていました。家庭薬の展示には、高齢者にとっては昔懐かしい歯磨き粉や目薬、各薬の名前と効能や販売店名が書かれた看板、「ツケキラズ目薬特約店」という名入りの半纏までずらり。珍しいものばかりでした。展示品は季節ごとに変わるそうで、別の機会に再び来てみたいと思いました。

少彦名神社
江戸時代は薬種仲買仲間の寄合所だった

くすりの町道修町の歴史

ずらり並んだ家庭薬と看板類

船場街歩き~道修町と適塾を訪ねて~②適塾

2023年6月17日(土)

<適塾>

街歩きは午後1時から、まずは適塾(旧緒方洪庵住宅/重要文化財/大阪大学管理運営)へ。昨年は時間が取れずに適塾の外部を見ただけしたが、今回は内部も見学することができました。ここからは名古屋と仙台から2名が加わりました。案内役は昨年もお世話になった大阪観光ボランティアガイド協会の藤井さんです。

洪庵は、内科学、病理学、予防医学の発展に多大な貢献をしただけでなく、優れた教育者でもありました。適塾は蘭学を学ぶ教育の場として洪庵により1838年に開設され、橋本左内、大村益次郎、福沢諭吉など、日本の近代化を支えた人々がここから輩出されました。

建物は、間口12m、奥行き40mで、通りに面して木造2階建ての塾と、その奥に平屋一部2階建ての住宅部分があります。

さっそく、玄関から教室を抜けて中庭へ。塾と住宅の書斎が中庭を囲んでいます。中庭を抜けると応接間や客座敷が連なっていました。客座敷は隣の家族部屋とともに、植え込みがある前栽(せんざい)に面しています。1階の最後は台所へ。ここにも玄関から通り抜けができる内庭があり、そこに竈や井戸が並んでいました。

中庭の奥が教室(1階)と塾生大部屋(2階)
左は住宅の書斎

客座敷から見た前栽

台所から急な階段を上がって2階へ登ると、屋根の上に物干し台が見えました。でもどこからも行けないようなのです。藤井さんによれば、後年増築された部分を撤去したときに物干し台に行き来ができなくなってしまい、今は梯子をかけて上り下りしているそうです。福沢諭吉はこの物干し台で酒を飲んでいたとか。

屋根の上の物干し台

女中部屋を抜けてヅーフ部屋へ。ここは、長崎出島のオランダ商館長ヅーフが作成した蘭和辞書が置かれていた部屋。貴重な辞書は適塾にも1部しかなく、塾生たちはそれを奪い合うようにして蘭学を学んでいたらしい。
そして、塾生大部屋へ。そこに塾生名簿が展示されていました。北海道から九州まで全国各地から集まった人数は629人。そのなかに福沢諭吉や手塚良庵の名前を発見しました。 
広い空間の真ん中に柱が1本。この柱よく見ると刀傷らしきものが多数あり、柱の中央付近が細くなっていました。血気盛んな若者たちの痕跡。

塾生大部屋
右手奥は玄関に降りる急な階段(手すりの勾配に注目)

刀傷で細くなった柱

後日取り寄せた「陽だまりの樹」の第1巻では、塾生の一人が良庵の刀を奪い、柱目掛けて振り降ろすという、この刀傷を題材にしたシーンが描かれています。
適塾の東西に2か所公園があります。これは、蘭学塾唯一の遺構を保護するため、大阪大学、大阪市、財界等が協力して、適塾に隣接して建っていたビルを撤去して昭和61年に史跡公園として開園されたものだそうです。

和風庭園風の東側公園

緒方洪庵像が設置されている西側公園
後方に適塾建物と物干し台が見える

除痘館の川上さんのお話では、年月が経ってかなり傷んでいた適塾の建物を修復するにあたり、洪庵当時の図面は一切残っておらず、おまけに持ち主が何度も変わり、どこまでが当時の姿でどこまでが後年手を加えたものなのかを見極めるのが難しかったそうです。さらに、適塾を別の場所に移築する計画が持ち上がりました。しかし、移築してしまってはこの地にあってこその歴史的価値が失われるということで反対。その結果、ここに残ることになったのだそうです。大阪大学はじめ関係者の皆様のご苦労とご努力、情熱と熱意のおかげで今があると修復に携わった方々に感謝しなければならないと思いました。





船場街歩き~道修町と適塾を訪ねて~①除痘館記念資料室

2023年6月17日(土)

6月18日のネズミの家のワークショップに先立ち、大阪船場にある道修町(どしょうまち)と適塾を訪ねました。

<除痘館記念資料室>

この日の午前中、道修町にある除痘館記念資料室を訪問。除痘館は、緒方洪庵により1849年に大阪古手町に開設されたのち、1860年に、洪庵の蘭学塾「適塾」南側に移転したそうです。今は除痘館の建物は残っていませんが、その跡地にある緒方ビルの4階に記念資料室(緒方洪庵記念財団管理運営)がありました。フロリダ、大阪、仙台から8名が参加。川上潤さん(記念財団専務理事・事務長)に、除痘館の歴史などについてご説明いただきました。

つい3年前、私たちは、新型コロナで感染症の恐ろしさを思い知らされたばかりですが、昔は、コレラ、スペイン風邪、天然痘など未知の病の感染症が猛威をふるい、人々を恐れさせていました。緒方洪庵は、当時多数の死者を出していた天然痘の予防のため、エドワード・ジェンナーが開発した牛痘種痘法を普及させようと、ここを一大拠点として、同志とともに180か所余りの各地で除痘館活動に心血を注いだのだそうです。

いただいた資料のなかに「扶氏医戒之略」がありました。これは、ドイツ人医学者フーフェラントの著書を洪庵が和訳、その後半部分を洪庵が要約したもので、「医の世に生活するは人の為のみ、をのれがためにあらずということを其の業の本旨とす」にはじまる第1条から12条まで医家としての心得を説いていて大変興味深く拝見させていただきました。

また、大阪という街を知るうえで参考になったのが「大阪よもやま話」でした。1909年にメリヤス業者の家から出火して堂島川沿いに燃え広がり1万1365戸が焼失したという「北の大火」や、その大火の影響や、動物の鳴き声や臭いなどへの苦情から、本町橋あたりにあった動物園(1884年開園)を、1914年、現在の天王寺動物園がある場所に移転することになり、ほとんどの動物は車などで移動できましたが、ゾウの段平くんだけは4kほどの道のりを10時間かけて歩かせることになりました。道中、段平くんはいろいろなものを壊すので、後ろに大阪市の職員がつき、壊れたものを直しながら行進していったとか。

おみやげに、除痘館の種痘風景の想像図が描かれたクリアファイルをいただきました。その絵には手塚治虫「陽だまりの樹」と書いてありました。

のちに調べると「陽だまりの樹」とは、幕末から明治に至る激動期を生きた若者たちを、手塚治虫の曽祖父手塚良庵をモデルに描いた手塚治虫作の長編漫画。良庵は適塾の塾生であったとのことでした。ファイルの絵は手塚治虫没後に、手塚プロダクションのアニメーターの方に描いていただいた除痘館のオリジナル作品だそうです。

川上さんのお話に引き込まれ気が付けば予定時間をオーバー、次の街歩きの時間が迫っていました。展示資料を拝見することもできず資料館を後にしたことが悔やまれます。

川上さん、貴重な時間を割いてご説明いただき本当にありがとうございました。

除痘館記念資料室は緒方ビルの4階にありました