2019年7月7日日曜日

■ ランチョ デ タオス/610日(月)
 サンタフェからタオスに向けてリオグランデ川沿いを走りました。リオグランデ峡谷の標識があったので駐車。停めた場所と川にはあまり高低差がなく、かなりの水量とスピードで流れているので少し腰が引けました。
 それからまもなくすると大平原の中に入りました。地平線の向こうにはサングレ デ クリスト(キリストの血)山脈の山々が連なっています。東屋があったので立ち寄ったのですが、そこにあった案内板に目が留まりました。
1760年、ランチョ デ タオスをコマンチ族が襲撃し、60人の女性と子供たちが連れ去られた。これは、17世紀から18世紀にかけて、ニューメキシコ/タオスカウンティに暮らすヒスパニックや先住民たちにとっていかに危険かを示す一つの例である。彼らは互いに襲撃し合い、大きな犠牲を生んだ。そうした争いのなかで1000人の女性と子供たちが捕らえられ、彼らは二度と戻ることはなかった。」
山あいを流れるリオグランデ川
案内板にはタオスの悲劇の歴史が語られていた

案内板をあとにさらに車を走らせると町がありました。この町こそランチョ デ タオス。その広場に大きな土のかたまりのような建物があらわれました。その形は直方体が3つ、中央のひとつが手前に突き出し、左右に2つが交差しています。その正体はサンフランシスコ デ アシス教会。私たちは教会の背面を見ていたのです。直方体に見えたのは、十字形の平面を持つ教会の内陣と祭壇が手前、これに翼廊がクロスしています。それらは、緩やかな曲線を描いて上にのびています。さらに、これらの壁を支えるためにあちらこちらにバットレスが突き出ています。ハチの巣状のものもあり圧倒的な存在感と温かみのある外観。オキーフをはじめ多くのアーティストが魅入られ、絵に描き、写真におさめたというのもうなずけます。側面を見ると身廊の屋根を支えるビガが見えました。その間隔は他のアドビ建築物より狭く、内部を見るとビガを支えるコーベル(持ち出し梁)が2重になっています。フラット屋根の大空間をつくるための構造上の工夫と思われます。
スパニッシュコロニアル様式のこの教会は、1772年から1816年にかけて建設され、国定歴史建造物とUNESCO世界遺産に登録されています。
 土でできているアドビ壁は雨風にあたると傷むので、毎年6月に地域の人たちなどボランティアが修復をしているそうです。たまたま私たちが訪ねたとき、その修復作業中だったと思われます。高校生らしき若者も塀の修復、草取り、教会内部の清掃作業に汗をかいていました。「地域の宝はみんなで守る」という心意気を感じることができました。
教会の背面
内側の祭壇部(手前)の左右に交差する翼廊
ハチの巣状のバットレスが見える
回り込んで西側を見る
傷んだアドビ壁の上にスサを入れた土を塗って修復
2つの鐘塔を持つ教会正面
身廊の壁を補強するバットレスが前に突き出ている
身廊側面
ビガの間隔が狭い


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