今日は台原小学校3年生104名の土鈴づくりの2回目の活動(1回目は6月21日)、佐藤吉夫師匠に堤町まちかど博物館の体験窯で焼いてもらった土鈴を窯から出す日です。朝の9時半、もう29度を超える暑さの中、子どもたちが水筒と生活科バッグを持って博物館にやってきました。
はじめに、博物館前の通りは奥州街道といって江戸日本橋から青森三厩まで続く大きな道だったこと、堤町では江戸の昔からここに住んでいた足軽たちが堤焼きという焼物を作っていたこと、2011年の大震災で登り窯の半分が壊れたけれど、子どもと大人が一緒に直したことなど、堤町と堤焼の歴史、そして震災後の復興活動について話しました。
吉夫師匠からは、登り窯や職人たちや焼いた土管が一緒に写っている写真を見せながら、活気あふれた焼物づくりのようすについて話しがありました。
登り窯では、ふたり一組になり、足で踏ん張り手で押し合ってアーチを作り、窯に働く力を自分の体で感じてもらいました。次に窯の中に入って、「①ピカピカしたレンガをさがそう」「②熱が通る四角い穴をさがそうという」というクイズに挑戦。①は、あちらこちらから「あった!」「いっぱいある!」との声があがり、焼かれてレンガが溶け、ガラスのようにツルツルになったレンガの表面の感触を確かめていました。②は、窯の一番下なので少し時間がかかったものの発見。下から上に火が登っていくために必要な穴であることを聞くと熱心にのぞき込んでいました。
窯に働く力を体で感じてみよう |
ツルツルしてる! |
堤焼展示室では、大きなカメは何のために使われていたかを質問すると、「酒を入れる」「味噌を入れる」中には「お風呂」と言う子も。水道のないころ、井戸から水を汲んできてこのカメに溜めて台所で使っていたことを種明かし。隣の部屋では、底に小さい穴がいっぱいあるカメが何に使われたか聞くと、「植木鉢」「花びん」などの答えがあがりましたが、冷めたご飯を入れて上からお湯をかけて温めていた「湯通し」という道具であることを教えると驚いたようすでした。便利なものがない時代、昔の人はいろいろな工夫をして暮らしていたことをわかってもらえたでしょうか。
人形展示室では、この部屋で一番の宝物は何かをたずねたところ、すぐに棚に飾られた箱入りの堤人形「谷風」を指さしました。谷風は仙台出身の大横綱で、この人形は1879年に作られ、この博物館で一番古い人形であることを話しました。また、「谷風」の後ろの壁にある手形が気になったようで、「おばけの手」などと言っていましたが、昔ここで働いていた職人さんの手形であることを聞くと興味深げに見入っていました。
おひなっこやさんでは、店内に並べられた堤人形、松川ダルマに囲まれて、佐藤明彦師匠から、「このあたりではいい土が採れたので昔から堤焼や堤人形を作ってきた。堤人形は型と粘土を使って作り、乾いたら焼いて絵付けして完成するけれど、ダルマは型に紙を張って作り、紙なので焼くと燃えてしまうので、そのまま絵付けする」など、堤人形の歴史や堤人形とダルマの作り方について教えてもらいました。
堤人形やダルマの作り方について聞く
最後は窯出しです。登り窯の前に並び、体験窯からひとり一つずつ焼きあがった土鈴を受け取りカゴへ。お友達の土鈴、割れたら大変とみんな鈴を鳴らしたいのもがまんして大事に運びました。例年数個は割れることもある窯出しですが、今年はひとつも割れず、笑顔で窯出しを終了。暑さにもめげず元気に学校に戻っていきました。
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