2018年6月3日日曜日

六郷小学校ワークショップ「国際宇宙ステーションをデザインしよう」+旧荒浜小学校震災遺構見学


516日(水)
 <六郷小学校ワークショップ「国際宇宙ステーションをデザインしよう」>
六郷小学校6年生126名は、昨年度「つながる小道をデザインしよう」と題して校庭の一角にある散歩道と学校菜園をデザインする学習に取り組みました。 この学習について、昨年11月と今年2月に行われたUSFとのスカイプ交流で経過を報告していましたが、今回、この学習の成果と完成模型をUSF大学生の方々に披露することになりました。また、USFが企画した「国際宇宙ステーションをデザインしよう」というワークショップにも挑戦しました。会場の体育館には、USF大学生20名、USF講師の酒井さんとベンジャミン・ヤングさんのほか、通訳のボアー・ネイトさん、山形大学の3年生・留学生7名、ネットワーク仙台と日本建築家協会(JIA)東北支部宮城地域会のメンバー7名などが集合。子どもたちは、津波で被災し六郷小学校に統合された東六郷小学校から受け継いだ「開宴太鼓」の迫力ある演奏で出迎えました。
開宴太鼓で歓迎しました

次は、「つながる小道」の発表です。体育館に並べられた模型を前に、「自分自身につながる小道」グループでは、自分の好きなものをみつけ、自分がリフレッシュできるよう作ったこと、「自然につながる小道」グループでは、ベンチを木にするなどエコを意識して作ったことを発表しました。
つながる小道を発表

ワークショップの指導はオーナーズカレッジ講師の酒井敦子さんです。はじめに紹介されたのが、フロリダ州にあるケネディ宇宙センターの展示施設の写真。これまで打ち上げられた数々のロケットや着陸船などが展示されていて壮観です。そして、鳥が羽を広げたように宇宙に浮かぶ国際宇宙ステーション(ISS)の姿とISSから見た青い地球の写真が映し出されました。いろいろな国の人たちが協力して建設と運用をしているISS。宇宙を身近に感じた子どもたちに出された課題は、見たこともないISSをデザインしようというもの。子どもたち、USF大学生、山形大学生の計153名が20グループにわかれて活動することに。はじめに酒井さんから、「ISSには、研究スペース、住居スペース、集合スペースの3つが必要です。まず、小さいマシュマロと爪楊枝をつかい、立体(部屋)を作りますが、はじめは中の機能はあまり考えずに形を楽しんで下さい。平面ではなく立体に組み上げてね」との話がありました。体育館の壁沿いに設けられた作業拠点で各グループ活動開始。
酒井さんからISSについて話を聞く
ISSに必要なスペースは?


1本の楊枝に団子のようにマシュマロを差していく子が結構いて、酒井さんから「マシュマロ1個に楊枝を何本か差すのよ」と声掛けがありました。また、四角形の組み合わせでつくって倒れてしまうケースが多く見受けられました。「三角形をつくると強いよ」とアドバイスすると、筋交いのように楊枝を足そうとしましたが、短くてうまくいかず、結局全部壊して最初から三角形の組み合わせで再挑戦する子もいました。四苦八苦しながらもどうにか各部屋は出来上がり、さっそく大きいサイズのマシュマロとスパゲッティを使って合体していきました。また、アルミホイルや1セントコインをソーラーパネルや電池や装飾などに使いました。
グループごとに活動開始
合体させよう
完成したみんなのISS

こうしてみんなのISSが完成。最後に、ポストイットを使ってどんな部屋を作ったのかを書いて貼っていきました。ワークショップの後は「ソーラン節」。これ、ものすごい運動量。アップテンポのソーラン節に、「ドッコイショ、ドッコイショ」の掛け声とともに、手も足も体も上下左右に動かし飛んだり跳ねたりの激しい振付け。これは、北海道稚内南中学校が考案したもので今や「南中ソーラン」として全国の学校に広がり、六郷小でも運動会に向けて練習しているのだそうです。見ていた学生たちは目を丸くしていました。
南中ソーラン、「構え」のポーズからスタート。奥のほうで学生さんも構えています


そして給食の時間。学生たちも4クラスに分かれて配膳活動から参加しました。メニューは「とりにくの香味焼」「シャキシャキポテトサラダ」「はるさめスープ」など。学生たちは残ったおかずも分けてもらって、おいしそうに食べていました。給食が終わると子どもたちは、机や椅子を後ろに片付けて「南中ソーラン」の練習開始。これを見た学生たちも子どもたちの後ろで見よう見まねで踊りに参加。子どもと学生が一緒になって飛び跳ねるので床が抜けそう。ひとしきり汗を流した学生たちは、子どもたちに別れを告げて次の旧荒浜小学校震災遺構へと向かいました。

<旧荒浜小学校震災遺構見学>
荒浜小では、校舎の2階まで津波が押し寄せたことを聞きました。学生たちは、倒れたままになっているコンクリート製のバルコニー手すり、 天井材がなくなり天井を支える部材がむき出しになった廊下、天井の蛍光灯が垂れさがったままの教室など、津波の威力を目の当たりにして息をのんでいました。展示室「3.11荒浜の記憶」では、地震発生から、津波が襲い、救助されるまでを映像と学校関係者や地元の方々の証言でまとめたビデオを食い入るように見ていました。廊下の東端にいくと、何本か残った防風林の松の木が見え、そのすぐそばで海が白波をたてています。これを見たベンジャミンさんと学生が「So close…..」とぽつり、海がこんなに近いことに驚いていました。その後、震災前の荒浜地区を1500で復元した模型の前で、約800戸の家々が立ち並んでいたという街並みを見ました。学生たちは、何もない野原に荒浜小学校だけがぽつんと立っている今の光景とのギャップに津波の恐ろしさを噛みしめているようでした。
津波の痕跡が残る荒浜小学校の前で

賑やかだった街の暮らしに想いを馳せる


最後は、屋上に上がり、植えられた防風林の苗が緑の絨毯のようになっているようすを見ることができました。また、JIA宮城地域会の方が取り組んでいる、がれきを使った盛土の上に植林して防潮堤と防風林を再生しようという活動についても話を聞くことができました。市民、行政、企業、専門家、そして全国のボランティアの方々など多くの人たちが協力して活動していることで、津波被災からの復興が進んでいることをわかっていただけたのではないかと思います。

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