■ ゴーストランチ&オキーフスタジオツアー/6月11日(火)
午前は、タオスから2時間でアビキューにあるオキーフのウエルカムセンターを見学、そこから30分でオキーフの夏の家があったゴーストランチへ。
まずは地図をもらいにゴーストランチのウエルカムセンターに行きました。地図には、メサ(台地)や峡谷などを巡るハイキングコースがいくつも記されていました。係りの人に余り時間がないのでどの道が良いかたずねたら、センターの裏の丘に登ってみるようアドバイスされました。標高が高いせいか息切れしながら登ってみると、眼前に赤の縞模様に彩られた崖があらわれました。崖の反対側には“チムニーロック”と呼ばれる岩がまさに煙突のように立っていました。こちらの岩は黄色でした。はるか向こうには、オキーフの絵によく登場するテーブルマウンテン“ペダーナル山”も見えました。
ここでは、乗馬トレイル体験などのガイドツアー、考古学や古生物学(恐竜の化石が発見されている)のワークショップなど、様々なプログラムが用意されているそうです。また、図書館、博物館、食堂、コテージやロッジなども整えられ、ソフトとハードの両面を兼ね備えた教育とレクレーションのための施設という印象を受けました。
残念ながらオキーフの夏の家は公開されておらず、見ることは叶いませんでしたが、オキーフが愛したゴーストランチの自然を肌で感じることができました。
足元に咲く小さなサボテンの花に別れを告げ、ゴーストランチからオキーフのウエルカムセンターに戻りました。
ゴーストランチウエルカムセンター |
赤色の縞模様で彩られている崖 |
チムニーロックと周辺の崖は黄色だった |
遠くにぺダーナル山を臨む |
牧場には数頭の馬がいた 乗馬トレイルツアーの出発点と思われる |
可憐なサボテンの花 |
オキーフのスタジオツアーは2018年5月オープンしたばかりのウエルカムセンターからはじまりました。ここで10人ぐらいの他のお客さんと一緒にバスに乗り込み、オキーフが冬と春を過ごしたという家とスタジオに向かいました。10分ほど走ると小高い丘の上にその建物がありました。オキーフは農園付きの古いアドビの家を購入し、窓を大きくするなどして改修、その周りに建物を増築していきました。その平面スケッチと配置図がウエルカムセンターに展示されていました。
オキーフの家とスタジオは国定歴史建造物になっていて、サンタフェのオキーフ美術館が所有と管理をしています。中をガイドさんに案内してもらいました。キッチン、リビング、寝室などすべての部屋に、調度品や備品や什器がしつらえてありました。オキーフが亡くなったとき、オキーフが家を出たときの姿をそのままの形で残そうと手を付けずにいたということでした。庭にはオキーフが大切にしていたという畑があり、今もハーブや野菜を季節ごとに育てているそうです。
日本とのつながりを感じさせるものがいくつかありました。キッチンの棚のなかには鉄瓶も見えましたし、リビングのテーブルの上に日本の急須と茶碗が置かれていました。中庭に植えられている木は“ボンサイ”仕立てにしているそうです。
日本から来たことをガイドさんに伝えると、「ノグチ(イサム・ノグチ)を知っているか?ノグチとオキーフは親交があったんだよ」と話してくれました。オキーフは、イサム・ノグチを通して日本を知り日本通になったのかも知れないと思いました。
内部の撮影は禁止でしたが、一か所だけ内部からの撮影が許された場所があります。オキーフが創作に使っていたアトリエから見る景色です。大きな窓の向こうに広がるアビキューの風景。地平線まで続く平原と遠くの山と青い空が見事なコントラストを描いていました。
オキーフは、1986年98歳で亡くなったのですが、62歳から96歳まで、この家とゴーストランチにある夏の家で過ごし創作を続けました。70代になると次第に目が見えなくなり、80代になるとほとんど見えなくなったそうです。あるとき彫刻を手で触りながら、「私には手がある。手があれば描くことができる」と、創作意欲が衰えることはなかったそうです。
ゴーストランチとオキーフスタジオツアーの充実した1日に満足して、サンタフェに戻りました。
オキーフウエルカムセンター |
オキーフスタジオ入り口 |
中庭 ガイドさんが“ボンサイ”と言っていた木が奥に見える |
畑には季節ごとに様々な野菜が植えられる |
アトリエからの眺望 |
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