2023年10月31日火曜日

堤町まちかど博物館の活動について発表しました

2023年10月31日(火)

ネットワーク仙台は、仙台伝統ものづくり塾「堤焼の歴史を知るー佐大商店登り窯を訪ねて」(会場:柏木市民センター)において、堤町まちかど博物館(以下博物館)の活動について発表してきました。

今回の講座は、いきいき青葉区推進協議会と仙台伝統ものづくり塾実行委員会が主催、柏木市民センターが共催した全2回の講座のうち、2回目として実施されました。1回目は、堤焼展示室として使われていた博物館2階の旧作業場にて、つつみのおひなっこやの佐藤吉夫師匠の指導のもと、堤人形の泥面子の型抜きが行われたそうです。

今回の講座の参加者は13名。博物館館長の佐藤くに子さんも特別ゲストとして参加されました。

講座が始まる前に、つつみのおひなっこやの佐藤明彦師匠に焼いていただいたという素焼きの作品が参加された皆さんに手渡され、はじめてご自分の作品と対面。皆さん嬉しそうに眺めていました。

講座では、はじめに、10年前にNHKで放送された、博物館の登り窯や堤焼・堤人形を紹介する番組を視聴。その後、この講座の発案者で、博物館の片付けや展示等でお世話になっている青木三郎さんから、登り窯の歴史などについてお話がありました。

ネットワーク仙台からは、1997年に三本松市民センターの堤町親子探訪をお手伝いしたことがきっかけとなり、佐大窯4代目窯元の佐藤達夫さんに協力して2001年に博物館の開設に至ったこと、その10年後、東日本震災により六連の登り窯の3房が崩れるという被害を受けたため、子供60人を含む430人が力を合わせて窯を再生させたこと、そして、焼物づくりや堤人形の絵付け、台原小3年生の土鈴づくり体験など、開館から今日までの活動について紹介しました。

参加された方々は、登り窯にとても興味を抱かれたようで、「仙台に引っ越してきてはじめて登り窯をみたとき、こんな街のなかに登り窯があるなんてと、とても驚きました」「いつか窯に火をいれることができないだろうか」といった感想をいただきました。

講座終了後、青木さんから写真が送られてきました。11月6日、青木さんと2名の参加者の方が吉夫師匠の手ほどきを受けて、素焼きの泥面子に絵付けをしたのだそうです。いずれも独創的でユーモラスな出来栄え。見るとにっこりしたくなる楽しい作品でした。

堤町まちかど博物館の活動について発表

2011年、東日本大震災で六連の登り窯の3房が崩落

2011年~2012年、崩れたレンガにこびりついた土を斫り、レンガを再生する

復興した登り窯

2019年、土鈴の窯出しに博物館を訪れた台原小学校3年生

泥面子の型と、型抜きした泥面子


泥面子の愉快な仲間たち

2023年10月1日日曜日

堤人形干支絵付けわーくしょっぷ

2023年10月1日(日)

翌年の干支の堤人形に絵付けをする毎年恒例のわーくしょっぷ。

2024年の干支は<辰(タツ)>。今年は、堤町から青葉区北根に移転新築されたばかりの、つつみのおひなっこやの新店舗を会場に、日本建築家協会東北支部宮城地域会との共催で実施しました。

9名の方々がやる気満々で集まりました。指導は、つつみのおひなっこやの佐藤明彦師匠です。師匠は、白く塗られた人形に、どのような順番でどのように絵付けをするのか、丁寧に教えてくれました。

はじめに、尻尾と雲をのぞいて全面に緑色を塗りました。「あまり色を濃くしないように。薄く塗ったほうがうろこの感じが出てきます」と師匠。次に、あご下からお腹、尻尾を薄緑色に塗ったあと、作業は段々と細かくなり、さらに集中力が必要になってきました。口、耳、鼻の孔、横腹で燃え盛る炎を朱色、2本の角は茶色、長く伸びるひげと、くるくる巻いた眉毛と、宝珠を金色に、という具合です。そして、ガオーと開いた口の中の6本の牙と、宝珠を握る3本の指の爪と、白目を白色に塗りました。最後は、白目の真ん中に黒で丸く目を入れ、辰が乗っている雲を灰色で描き、完成しました。昨年の寅も難しかったのですが、今回はそれを上回る難しさ。終わると皆さんふーっと一息。

おしまいに、全員の作品を並べて記念撮影。勇ましくもあり、可愛らしくもある辰たちが勢ぞろいしました。

「色はここまできちんと塗ってください」と指導する明彦師匠

息を止めて長く伸びるひげを描きました

「2024年は俺たちの年だぞ!ガオー!!」

2023年7月4日火曜日

台原小3年生総合学習「台原の達人になろう!」

2023年7月4日(火)

今年も、台原小学校3年生の堤町まちかど博物館の見学が行われました。この活動は、JIA宮城とネットワーク仙台が連携して、台原小学校に協力して実施されたものです。

今年の3年生は3クラス106名。3年生は、密をさけるため、クラスごとに時間をずらして堤町にやってきました。そして、各クラス3グループに分かれて、登り窯、堤人形展示室、堤焼展示室を巡りました。

グループに分かれる前に、登り窯の前に全員集まって渋谷セツコさん(JIA宮城・ネットワーク仙台)から、堤町まちかど博物館館長の佐藤くに子さんやネットワーク仙台メンバーの紹介がありました。また、博物館前の道路は、昔、江戸から青森の三厩(みんまや)まで通っていた奥州街道という重要な道だったこと、目の前にある窯で堤焼という焼物が作られていたことなどについてお話を聞きました。

「この窯で堤焼が作られました」と渋谷さん

登り窯にはどんなひみつがあるのかな?
1か所目の登り窯では、永野ますみさん(JIA宮城・ネットワーク仙台)から、6つの窯が連なって階段状に登る形なので、六連の登り窯と呼んでいること、坂を利用して作られた窯は、坂の下に焚き口があり、熱い火は上に登っていく効率的な構造になっていること、東日本大震災では、上から3つの窯が壊れ、大勢の人が協力して復興したことなど、窯の構造や仕組み、震災後の復興活動などについて説明を受けました。
登り窯は、レンガをアーチ状に組み立ててトンネル状にしたボールトという形をしていて、とても丈夫な建築構造になっています。子供たちはアーチの構造はどこに力がかかっているか、二人一組でアーチをつくってみることに。すると、足と腕に力がかかって、足が折れたらアーチも崩れてしまうことを体で感じることができました。
子供たちは、窯の壁の下のほうに開いているいくつもの小さい穴を発見。これは、この穴から火が上の窯に登っていく仕組みであることを聞きました。焚口には、お供え棚があり、昔は火入れをする前に神様にお祈りしていたことも知りました。

東日本大震災で壊れて直した3つの窯では、何回も焼かれたために黒く光っている古いレンガと、全く焼かれていない赤い新しいレンガが混ざっていることを見て触って確かめることができました。

窯を見ていろいろ疑問に思ったことを、永野さんから教えていただきました。
  1. 焼き物を作るのにどのくらい時間がかかったの?→7日間ぐらい
  2. どうやって温度を調整していたの?→色見というのぞき穴から笹竹を投げ入れ、その炎の色で1000度から1200度ぐらいになっているかを確認。温度が低いと感じたら焚口に薪を足して燃やした
  3. どうやって登り窯をつくるの?→アーチ部分は、窯の上にのっているアーチ状の木製型枠を使ってレンガを積んでいた
二人一組になってアーチを作ってみよう

焚口から薪を入れて火をつけたことを永野さんから聞きました

堤人形はどう作るの?
堤人形展示室に集まった子供たち。この部屋は、以前ここをお店に使っていた「つつみのおひなっこや」が別の場所に移転したため、新たに堤人形の展示室として生まれ変わったばかりです。
展示の整備は、佐藤くに子館長、ボランティアの青木さんと鹿戸さんによって行われました。
ここに入るとたくさんの堤人形が目に飛び込んできて、興味津々の子供たち。
さっそく、堤人形の作り方について、「つつみのおひなっこや」の佐藤明彦師匠から教えていただきました。
  • 堤人形は江戸時代から伝えられてきた型を使って作る
  • 表と裏の2つの型のそれぞれに粘土を押し付けてから2つを合わせて両方の粘土をくっつける
  • しばらく置いてから型をはずすと人形が現れる
  • 人形を乾かしてから窯で焼いたあと、人形に胡粉という白い粉を塗り、その上に色をつけて堤人形が出来上がる
ここで、明彦師匠から「堤人形を焼くときの温度はどのくらいだと思う?」と聞かれた子供たち。100度ぐらいと低い温度を言った子が多かったのですが、師匠の答えは、800度から1000度。意外に高い温度に驚いていました。

明彦師匠(右端)から堤人形は型を使って作ることを教わりました

堤焼クイズに挑戦しよう!
最後に回ったのは堤焼の展示室です。子供たちは台の上に乗っているたくさんの堤焼を見て、クイズの堤焼がどこにあるのかを探し、その使い方を当てていきました。

クイズは次の3つです。

A:鬼瓦は家のどこに置かれましたか
キッチンのかべ
屋根の上
トイレのかべ

B:大がめは何をいれて使いましたか
お酒
お風呂のお湯

C:これは何に使うものですか
植木ばち
花びん
冷たいごはんをあたためる

Cのクイズ
底に穴が開いたこの焼物は何に使うんだろう?

鬼瓦はすぐに発見。おかれた場所は、屋根の上が一番多くて、トイレやキッチンの壁という答えが少数ながらありました。大がめは、「酒」や「お風呂のお湯」という答える子もいましたが、多かったのが「水」。水道がなかった昔は、井戸から水を汲んできてかめに溜めて料理や洗い物に使ったことや、水汲みは子供たちの仕事だったことを聞いてびっくり。Cでは、「花びん」や「植木鉢」という答えに混じって、「冷たいご飯を温める」と本当の使い方を当てる子も結構いました。電気も電子レンジもない時代、この中に冷たいご飯を入れ、湯を張った器のなかにざぶざぶとつけて、引き上げるとご飯が温まる「湯通し」という道具であることを知りました。

クイズにはなかったのですが、台の上に置かれた「帽子のようなものは何?」と質問が出ました。それは「ときん」と言って、小さいものは電柱用、大きいものは門柱用で、昔はどちらも木で出来ていたので雨があたっても腐らないようにするため被せていたことを聞き、焼物がのった木の電柱や門柱にイメージを膨らませていました。

堤焼クイズに挑戦する子供たち

メモをとりながら熱心に博物館を見学した子供たち、「また来るね!」と言って元気に学校へと戻っていきました。

2023年6月18日日曜日

建築と子供たちワークショップ「ネズミの家をデザインしよう!」

2023年6月18日(日)

このワークショップは、アメリカのニューメキシコから大阪に引っ越してきたネズミのために家をデザインするというものです。

会場は「一心寺南会所」(大阪市天王寺区逢阪2-7-17)。天王寺公園や天王寺動物園に隣接するお寺のイベントスペースです。参加者は1年生から5年生までの小学生13名。指導は渋谷セツコさん(建築と子供たちネットワーク仙台)。司会は細田牧江さん(建築と子どもたちデザインLABO関西)。ゲストにフロリダから酒井敦子さん(南フロリダ大学ジュディ・ゲンシャフトオーナーズカレッジ教育専門准教授)をお迎えしました。子供たちのほか、大阪、仙台、名古屋から10名のスタッフと保護者11名が参加しました。また、仙台、新潟、宇都宮から4名がオンラインで参加し、ワークショップの様子を視聴しました。

ネズミさんのお手紙と天王寺公園の紹介
はじめに、細田牧江さんがクライアントのネズミさんの手紙を読み上げました。
「ぼく、ネズミのRIO  リオって呼んでね。アメリカのニューメキシコから大阪に引っ越してきたんだ。天王寺公園には水辺があるよね。ぼくはリオグランデ川のそばにすんでいたから、水辺があって緑が多いここの環境がとても気に入ったよ。
だからここに家を建てたいと思う。みんな、ぼくの家をデザインしてくれない?
家は、ニューメキシコの古い家みたいな日干しレンガづくりがいいな。それはアドビって言われているんだよ。どんな家ができるかとても楽しみ chuh」
そして、天王寺公園には子供の遊び場やカフェなど子供も大人も楽しむことができる芝生広場「てんしば」や、林泉回遊式庭園の慶沢園、緑豊かな茶臼山と山裾の池などがあることを映像で紹介しました。

ニューメキシコとアドビの家
ネズミのリオ君がすんでいたというニューメキシコについて酒井さんからお話がありました。アメリカの南西部にあるニューメキシコは、メサと呼ばれる台地、平原、渓谷、峡谷、山、森林、河川など変化に富んだ地形が広がっているそうです。そうした地形を利用して、台地の断崖に築かれたメサベルデの岩窟住居や、渓谷に築かれたチャコキャニオンの集落群など、アメリカ先住民プエブロ族の先祖アナサジ族の遺跡の写真を見せていただきました。断崖に見られる土は、赤や黄などの様々な色の層になっていました。
「先住民の人たちの家は、アドビといって周囲の土を日干しレンガにして、それを積み重ねて作っていました。ですので、レンガも土の色と同じで赤や黄など様々な色になり、周囲の自然環境に溶け込んでいます。屋根は木と草と土で作ります。年間300日以上も雨が降らないのでそれでも大丈夫です。現在はそうしたアドビスタイルを守りながらも、今の暮らしに合わせた家が作られています」

ニューメキシコについて説明する酒井さん
写真はアルバカーキで開催される国際バルーンフェスティバル

黄色や赤色の土が層になっている断崖

メサベルデの岩窟住居

クライアントの願いやニューメキシコの自然環境やアドビの家のお話を聞いた後は、いよいよネズミの家をデザインするワークショップの時間になりました。

ステップ1:バブルダイアグラムを描く
はじめに、渋谷さんから説明がありました。「ネズミの家に必要な部屋は玄関、リビング、寝室、お風呂、食品庫ですが、そのほかに必要だと思う部屋があれば足していいですよ。バブルダイアグラムは建築家がデザインのはじめに描く図で、どのような部屋をどのように並べていくのかを考えながら描いていきます。バブルダイアグラムは、部屋をバブル(泡ぶく)の形で描きます。大きい部屋は大きいバブルで、小さい部屋は小さいバブルで描いてください」「部屋と部屋の間をネズミが動くところは矢印で表し、行き来が多いときは太く、少ないときは細くします」「描くときは鉛筆ではなく、黒マーカーを使います。直したいときや、もっといい考えが浮かんで来たら、描いた紙の上にトレーシングペーパーを重ねてその上に描いてくださいね」

さっそく、子供たちはバブルダイアグラムでネズミの部屋をデザインしていきました。与えられた部屋のほかに、キッチン、洗面所、トイレ、プールなども加え、太い矢印や細い矢印を使ってネズミの動線を描き、バブルダイアグラムは段々と出来上がっていきました。なかには、トレーシングペーパーを使ってバブルダイアグラムを描き直す子、三角屋根を持つ立面にひみつの部屋を描く子、外でどろんこになってもきれいにしてから家の中に入るように玄関とお風呂を一緒にした子などいろいろな工夫がなされていました。

バブルダイアグラムの描き方

トレーシングペーパーを重ねて描き直しています

平面プランも考えました

ステップ2:模型作り
バブルダイアグラムが出来たら、次は模型作りです。午後のワークショップが始まる前に、午前中、スタッフ全員で、日干しレンガに見立てた粘土ブロック作りに汗を流しました。ブロックは、ひとつ3cm ×1.5cm ×1.2㎝で、ひとり当たり100個を用意。
はじめに、渋谷さんが、粘土ブロックを重ねて壁を作る様子を実演して見せました。ブロックとブロックの間はスチレンノリで接着させます。
ブロックのほか、スチレンボード(敷地用)、ジオラマモス(植栽用)、バルサシート、コルクシート、リップルボード、色画用紙、折り紙、小枝、割りばし、毛糸など様々な材料を準備しました。
子供たちは、バブルダイアグラムを脇に置いてそれを見ながら、模型を作っていきました。縮尺の代わりに、紙で作ったネズミの模型を使いました。

壁や入り口の作り方を教える渋谷さん

バブルダイアグラムを見ながら壁を作っていました

壁が出来たら屋根を作り、家の周りに木や草を植えます

どの子も粘土ブロックを積み上げることに苦戦していたようです。でも全員壁を作り、屋根をのせ、家の周りや屋根の上に木や草を植えて思い思いの家が出来上がってきました。

子供たちに作品について発表してもらいました。好きなところは「緑がいっぱいなところ」、見せたいところは「庭に作った畑」、工夫したところは「屋根を折りたたみ式にした」「雨の日も遊べるように家の中に木を植えた」など、各模型にはたくさんのアイデアが盛り込まれていました。

いろいろなところで遊んでほしいと、何層にも重ねて作った家がありました。この家について、酒井さんから「デザインするときは、クライアントのことをよく考える必要があります。この家は人間とは違う動きをするネズミのことをよく考えていますね」というおほめの言葉をいただきました。

午後1時15分から4時15分までの長丁場。休憩時間も休まず、図を描き、模型を作り続けたみんなよく頑張ったねと、会場とオンライン参加の大人たちから大きな拍手をもらいました。
そして、作品を全部集めてみると、ニューメキシコ先住民のプエブロの人たちが住んでいた村のようになりました。

終了後、子供たちは、作品を大事そうに抱えて笑顔で帰っていきました。


子供のアンケート(抜粋)
  • むずかしかったところは、ねん土とねん土の間にすきまをあけないようにしたところです。工夫したところは、げんかんに入るまでのかいだんをねずみがとおりやすいようにスロープにしました
  • レンガをつんでいくのがむずかしかったです。かんせいしてすごかったのでたのしかったです。にわにバーベキューをつくったのをくふうしました
  • ぐちゃぐちゃになったけどむずかしくてもがんばった。バブルダイアグラムがすごいおもしろい
  • 作るのがとても楽しかったです。レンガをつなげるところがむずかしかった。やねを工夫して作った。またやりたいです
  • バブルダイアグラムをつかって考えるのが楽しかったです。レンガをつかって壁を作るのがむずかしかったです。でもとても楽しかったです。次はレンガから作りたいです
  • バブルダイアグラムを考えて、模型をつくるのが楽しかった!!
  • やねを作ったらおりたたみしきになってびっくりした。もう1回作りたいと思った!!作るのが本当に楽しかった
  • たのしかったところは、ネズミの家を作れたところです。むずかしかったところは、ざっそうや、やねを作るところでした。工夫したところはかぐ(家具)です
  • きれいにできてよかった。またやりたい。やねをきれいな色のおりがみにできてよかった。いっぱいくふうできてよかった
保護者のアンケート(抜粋)
  • 子供達のアイデアや発想力が思いのまま出来ることと、考え、思いを発表する時間もあり、参加させて頂いて良かったです
  • 建築の知識が無いながらも分かりやすい説明と、子どもたちの楽しそうな姿が最高でした。レンガの積み方など、私の仕事でも活きてきそうな内容もあり、物作りをする身としては、すごく勉強になりました
  • 大人が聞いていても楽しい内容でした。完成した作品を見てこんなにもデザインに個性が出るのかと見ていて興味深かったです
  • 最初の説明が、所々子供にはむずかしい言葉がありました。作りはじめて見ていたら自分も作りたくなった
  • 時間が足りなかった。子供にとって初めて誰かのために家を作るという体験をさせていただけて、とてもいい経験になりました。ニューメキシコの写真や話が聞けてよかったです
  • 図面にイメージを描き、形を作る工程が、脳に刺激を与えるいい経験ができたと思います。どんなこともほめて頂きありがとうございました
  • 建築家になりたいと、よく将来の夢を語るのですが、実際に建物をつくったりすることがなかったので、そのようなワークショップがあればいいなーと日々探しておりました。物作りが大好きな娘にとって、とても楽しい時間だったと思います







屋根をはずして撮影






ニューメキシコのプエブロの村のようになりました

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ぼくの家をデザインしてくれたみんなへ
ぼく、どの家もとっても気に入ったよ
さっそく住んでみたいな
懐かしいニューメキシコを思い出すアドビの家
すてきな家をデザインしてくれてありがとう!chuh
                    RIOより
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リオ君から届いたお礼の手紙

2023年6月17日土曜日

中之島リバークルーズ

2023年6月17日(土)

船場街歩きのあと、午後4時から中之島を船で巡りました。出発地点は八軒家浜船着き場。ここは、平安時代、渡辺の津と呼ばれ、京都からの人々が船を下り、熊野古道へ発つ起点として、大阪の水運と陸路を繋ぐ交通の要所でした。江戸時代には、京都と大阪を結ぶ舟運の要衝として賑わい、八軒の船宿があったことから八軒家浜と呼ばれるようになったそうです。  

そんな由緒ある浜から、フロリダ、大阪、名古屋、仙台の11名とボランティアガイドの藤井さんの12名が1時間の船旅へ。八軒家浜を出発し、天満橋の下を通って寝屋川に入り、徳川時代の大阪城の石垣付近を航行。石垣には大小の穴がたくさん開いています。排水口かな?と不思議に思っていると、別の方が「大きい穴は城の抜け穴かも」と話されているのを聞き、そうかも知れないと思いました。城は直接見られませんでしたが、その代わり川の反対側のビルに映る城を見ることができました。

ビルに映る大阪城

それから方向転換して土佐堀川へ。ここから中之島公園を右に見ていくつか橋の下を通り抜けていきました。最初の橋は天神橋。中之島公園の東端にある美しいアーチ橋です。次は、ライオン像が設置されていることで有名な難波橋。天満橋、天神橋、難波橋の3橋は、江戸時代の公儀橋(幕府管理の橋)で、難波三大橋として今も親しまれています。難波橋の次は栴檀木(せんだんのき)橋、街歩きの時に最初に渡った橋です。難波橋と栴檀木橋の間から大阪市中央公会堂が見えました。淀屋橋と錦橋に差し掛かると、船頭さんから「日傘は畳んで、頭を低くして」と注意がありました。なるほど頭がぶつかりそう。満潮時にはここは通れなくなるそうです。

土佐堀川を行く
右手の緑は中之島

土佐堀川から見た中央公会堂

淀屋橋の下を通る
頭がぶつかりそう

錦橋もかなり低い
奥に見えるのは肥後橋

その後、肥後橋、常安橋、土佐堀橋、湊橋を次々に通り、昭和橋を左に見ながら中之島の西端を回って堂島川に入りました。堂島川は、上船津橋、堂島大橋、玉江橋、田蓑橋、渡辺橋、ガーデンブリッジ、大江橋、水晶橋、鉾流橋、難波橋、天神橋という順で橋の下を通り抜け八軒家浜に戻るコースです。途中、大阪国際会議場、大阪中之島美術館、大阪中之島図書館、ダイビル本館、中之島ダイビルや中之島三井ビルなどの超高層ビルを眺めることができました。ダイビル本館は旧本館ビルを低層に再現して建てられた高層ビルで、9割ほど移設されたという低層部外壁のスクラッチタイルが美しい建物です。

土佐堀川から堂島川へ
左はぽんぽん船船着き場 その奥に昭和橋が見える

堂島川から見た中之島の高層ビル群 
右下に少しだけ見えるのがダイビル本館、左へ中之島ダイビル、中之島三井ビル、中之島三井ビル、住友中之島ビル、フェスティバルゲートタワーが続く
手前の橋は渡辺橋

猛暑のなかを、街歩きやクルーズのガイドをしていただいた藤井さん、今年もお世話になりました。ありがとうございました。

船場街歩き~道修町と適塾を訪ねて~③くすりの道修町資料館

2023年6月17日(土)

<くすりの道修町資料館>

適塾のあとは、くすりの道修町資料館に行きました。くすりの道修町資料館は、昨年の街歩きの際に立ち寄った少彦名(すくなひこな)神社の社務所ビル3階にありました。少彦名神社の場所は江戸時代、薬種仲買仲間の寄合所だったこともあり、300年前から保存されてきた文書など、道修町に関する諸資料を町全体で保存し公開しようと、1997年、ここに資料館が開館されることになったそうです。

館内は、道修町がくすりの町と呼ばれるようになった歴史や、道修町ゆかりの人々、昔の家庭薬などが展示されていました。家庭薬の展示には、高齢者にとっては昔懐かしい歯磨き粉や目薬、各薬の名前と効能や販売店名が書かれた看板、「ツケキラズ目薬特約店」という名入りの半纏までずらり。珍しいものばかりでした。展示品は季節ごとに変わるそうで、別の機会に再び来てみたいと思いました。

少彦名神社
江戸時代は薬種仲買仲間の寄合所だった

くすりの町道修町の歴史

ずらり並んだ家庭薬と看板類