2014年3月10日月曜日

吉成小学校6年生総合学習「復興応援プロジェクト」2013年6月〜2014年2月


 昨年度に引き続き吉成小学校6年生の震災復興学習をお手伝いすることになりました。今年度の6年生66名が取り組むのは総合学習「復興応援プロジェクト」。学校では、被災した方々を元気にするようなマガジンをつくることを最終目標に、伝統野菜の仙台白菜を題材にしたデザイン学習など昨年以上に活動を充実させたいという希望を持っていました。それならば、「仙台白菜を学校菜園で育てる」「育てた白菜の断面図を描く」「その断面図をもとにLEDを使った灯ろうをつくる」「灯ろうを仮設住宅に飾って被災した方々を励ます」といった活動の骨子を提案。さっそく、この学習を実現するための方法を話し合うことになりました。その中で一番の課題として挙げられたのが「白菜づくりが校庭の片隅で本当にできるのか」ということでした。そこで兼ねてより親交のあった宮城県農業大学校の浅野伸一先生に学校菜園を見ていただくことになりました。菜園の土を手に取ってみた浅野先生は「ほとんど砂だね。でも堆肥を入れれば何とかなりそう」とのこと。これで大船に乗った気持ちに。土づくりが行われたのはそれからまもなくのことでした。
6月から授業がスタートすると、「仙台伝統野菜生産振興会」の萱場哲男さん、「食の学人(まなびと)の会」の高橋信荘先生(明成高校)、「メカトロで遊ぶ会」の岩本正敏先生(東北学院大学)など大勢の方々が子どもたちの学習を支援することになりました。こうした人と人のネットワークがつながって、子どもたちは自ら進んで白菜を育て、とれたての白菜を味わっていただいたり白菜をデザインした灯ろうを灯したりして仮設住宅の方々を励まし、白菜の栽培リレーで他の地域の子どもたちと交流するという私たちの想像をはるかに超えた素晴らしい総合学習となったのです。そうした学習の概要を以下に紹介します。

<復興に取り組んでいる方々の話を聞こう>


65日 子どもたちに仙台白菜など仙台の伝統野菜のことを知ってもらい、被災した方々を応援するためにどのような活動ができるかを考えてもらう授業が行われました。若林区で農業を営む萱場哲男さんは、仙台白菜や曲がりねぎなど仙台の伝統野菜の栽培と普及に取り組んでいます。萱場さんは、津波の水を被った荒浜地区の畑で、被災後はじめて栽培した野菜が立派に育ち野菜の命の力強さを実感したそうです。そして、昔から仙台で作られてきた野菜をこれからも大事に作り続けていきたいと子どもたちに語りかけました。ネットワーク仙台の渋谷セツコ代表は、旧丸木商店の蔵のファサードをデザインした南材木町小3年生、堤町まちかど博物館の登り窯を修復した吉成小6年生、東六郷小学校に贈る図書箱をデザインした吉成小5年生など、多くの小学生が震災復興のために力を合わせたことを写真で紹介し、みんなも自分たちでどんなことができるか考えてそれを実際にやってほしいと話しました。こうして子どもたちは活動の第一歩を踏み出しました。


「伝統野菜を未来に残したい」と萱場さん
「自分たちができる励まし方を考えてね」

2014年3月9日日曜日

<仙台白菜と宮沢賢治>

仙台白菜について熱く語る高橋先生
613日 仙台白菜など地域の食文化資源を活用した「食の学び」と地域づくりを推進している「食の学人の会」の高橋信荘先生はじめ明成高校調理科の3人の先生方が学校に招かれました。ネットワーク仙台は、残念ながらこの日の授業に立ち会えませんでしたが、高橋先生はとても興味深いことを教えてくれたそうです。ひとつは仙台白菜の歴史です。仙台白菜は、大正時代に野々島など松島湾の浦戸諸島ではじめて種がつくられてからずっと浦戸諸島の畑で採種されてきたこと、その畑が震災で大きな被害を受けたが地元の農家の方々や高校生などが協力して畑の復興に取り組み、今も種が採られているのだそうです。
米(上)と大豆(下の右)と
白菜(下の左)の種
もうひとつは、宮沢賢治と仙台白菜との関わりです。花巻の賢治の私塾「羅須地人協会」にある「下ノ畑」で賢治は白菜を栽培し、その種は松島種と同じ由来を持つ種であり、賢治と仙台白菜との間に深いつながりがあったことを知りました。そして、高橋先生は米と大豆と白菜の3つの種をプレゼント。これは「雨ニモマケズ」の一節「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」にならったもので、白菜の種は震災後に野々島で採れたのだそうです。賢治と仙台白菜の深いつながりを知った子どもたち。「下ノ畑」訪問を予定している修学旅行がますます楽しみになりました。

2014年3月8日土曜日

<仮設住宅・七郷小・萱場さんの畑の訪問>

「健康体操をやってみよう!」みんなの家で
73日 1組は福田町南1丁目公園仮設住宅の集会施設「みんなの家」、2組は荒井小用地仮設住宅という2つの仮設住宅を訪ねました。子どもたちは、歌を歌ったり、体操をしたり、手遊びを一緒にやったり、シジミを使ったストラップ「福幸がえる」づくりを教えてもらったり、雑草取りのお手伝いをするなど、終始なごやかに交流しながら、仮設住宅の方々が助け合って笑顔で暮らしているようすや、復興にかける想いに触れることができました。



 その後七郷小学校へ。荒井地区にある七郷小は東部道路の少し
七郷小との交流が終わり、
手を振ってお別れ
西側にあります。震災では津波の被害を受けなかったこともあり、震災後は荒浜地区などから2千人を超える方々が避難する大規模避難所になりました。七郷小には東長町小のまちづくり学習(2000年~2001年)などでコラボした亀崎英治先生がいらっしゃいます。かねがね七郷小の全校挙げての震災復興学習についてお聞きしていましたが、今回、七郷小が荒井小用地仮設住宅や萱場さんの畑にも近いことから、両校の6年生がお互いの活動について発表しあう場を設けられないかと亀崎先生を通して七郷小に打診したところ、昼食会場も含めて快く引き受けていただくことになりました。発表では、七郷小からはゴーヤやヘチマで緑のカーテンをつくる取り組みと、七郷の地域の良さを伝える活動について、吉成小からはあいさつ運動やこれから取り組むマガジンづくりについて話しました。お互いに活動はこれからという段階でしたが、他校の6年生の復興学習を知る良い機会になったと思います。帰り際には、緑のカーテンのヘチマで作ったタワシと、ゴーヤの苗をおみやげをいただきました。このゴーヤを持ちかえった何人かが自宅で緑のカーテンを作ることができたそうです。10月はじめには七郷小から、アエルのニコンプラザで開かれた「七郷の良さを伝える写真展」の案内が届き、数名の6年生が見に行ったそうです。その感想の一部を復興応援ブログから紹介します。
「震災の被害を受けた地域とは思えないぐらいきれいで、この力があれば被害を受けた地域がすべて復興することができると思う」「学校の周りの自然、いろいろな方との交流の写真が説明つきで飾ってありました。それを見て七郷小の皆さんの復興への気持ちが伝わってきました。」
場さんの話を熱心にメモする子どもたち
七郷小のあとは、萱場さんの畑に向かいました。仙台白菜はこの時期畑にはありませんでしたが、枝豆、なす、きゅうり、じゃがいも、いんげん、ピーマン、トマトなど今が旬の野菜がいっぱい。トマトを試食させてもらい、そのおいしさに舌鼓を打った子どもたち。「旬のものが一番おいしいんだよ」という萱場さんのお話をかみしめました。

2014年3月7日金曜日

<白菜づくり>


「種はひとつずつ植えるんだよ」と高橋先生
 8月19日 高橋先生の話を聞き、萱場さんの畑を見て、修学旅行で「下ノ畑」を訪ねたことで、子どもたちは自分たちも白菜を学校で育ててみたいと思うようになりました。夏休み中のその日、みんなで学校菜園に種まきです。種は高橋先生からいただいたもので、いずれも宮城県の渡辺採種場によって開発されました。
 震災後、野々島で採種された「松島新二号」(昭和18年発表)、「オリンピア」(昭和39年発表/東京オリンピック記念)、「秋の祭典」(平成24年発表)、「晩秋」(昭和41年発表)の4種類です。ポットやセルトレーでの苗栽培と直植えの2つの方法で行いました。
可愛い芽が出てきました!
 小さな種は、やがて芽が出て、葉が出て、その葉がだんだん大きくなって、4ヵ月後には立派な白菜に成長しました。私たちが学校を訪ねた11月中旬、菜園には青々とした大きな葉を幾重にもまとった大きな白菜がずらりと並び、すでに固く結球しているものもあってびっくり。雑草が次々に生え、夏の暑さや台風にやられ、いろいろな虫に食べられたそうですが、毎日、草取りや水やりや虫捕りを頑張ってきたからこんなに見事に育ったのですね。





シャワーで涼しくなってね
 吉成小の白菜づくりは、高橋先生を通して素敵な交流に広がりました。塩釜市の浦戸第二小と浦戸中の小中学生が野々島で白菜を育ててその種を採り、それを吉成小の6年生が学校で育苗し、さらにその苗を花巻市の南城小学校の5年生が賢治の「下ノ畑」で育てるという栽培リレーが実現したのです。「下ノ畑」で南城小5年生と下ノ畑保存会の方々の手で大切に育てられた白菜は、11月27日に151個が大きく育って吉成小に帰ってきました。これらの白菜は仮設住宅の方々に贈られたほか、おひたし、クリーム煮、すきやきといったメニューで給食に出され、全校生徒が3日間も「下ノ畑」の白菜を堪能したそうです。



「立派な白菜ができたよ!」上:吉成小学校のみなさん 下:南城小学校のみなさん


2014年3月5日水曜日

<野菜の断面図を描こう>



ルーペでよくみてみよう

11月13日 学校の畑で採れた白菜の断面図を描きました。描くのは、白菜のほかに、萱場さんの畑で採れた紅芯だいこんや曲がりねぎ、そしてパプリカなどの野菜です。それぞれの野菜を縦半分に切り、そののなかから好きなものを選びます。次に選んだ野菜の断面をルーペでよく見ます。白菜の葉っぱの根元のほうはどうなっているのか、葉っぱにはどんな特徴があって命の工夫になっているのか、など。注意深く観察した断面をマーカーで描き、気づいたことを引き出し線を使って言葉で書くと断面図が完成です。その断面図の上に窓紙をずらしながらあてていき、穴から見える部分で気に入ったところが決まったら窓紙をテープで固定します。今度は穴の部分をクレヨンで別の紙に拡大していきます。この断面図はあとで灯ろうに使う牛乳パック(1000cc)に写すことになっています。
窓紙の穴から見える部分を拡大
そこで拡大や縮小が自然にできるように、窓紙の穴と拡大図を描く紙の縦横の寸法は、牛乳パックの長方形面のそれと同じ比率になるよう作られています。クレヨンの拡大図を描くときは、「元の野菜のことは忘れて自由に色を使う」「背景にも色を塗る」「いくつかの色を混ぜて塗ってみる」などアドバイス。出来上がった作品はどれも素晴らしく、そっと手でなでてみたいという気持ちにかられました。この授業のあと、子どもたちは描いた断面図から思い浮かぶ励ましの詩を書いて灯ろうづくりの準備をしたそうです。



学校の復興応援ブログには、「『命をつなごう』という思いは人間も植物も同じなんだなと気づきました。ふだん食べている野菜がこんなにも細かい構造になっているとは思ってもいませんでした。野菜も一生懸命生きていると実感しました」と感想がのっていました。よーく観察してデザインしたからこその深い言葉ですね。

励ましの詩が添えられた断面図

2014年3月4日火曜日

<いろは姫の灯ろうをつくろう>


岩本先生の説明を聞く子どもたち
1119 「メカトロで遊ぶ会」の岩本正敏先生と鈴木南枝さんの指導で発光ダイオードと牛乳パックを使った灯ろうをつくる活動に協力しました。
あらかじめ、表の紙をはがしておいた牛乳パックに、先日描いた断面図を写し、励ましの詩も書いておいてもらいました。
今日の活動は、牛乳パックの中に入れる「いろは姫」の光り方をコンピュータでプログラミングすることと、牛乳パックの表面にロウを塗り、その部分からもれる光りで絵と詩が浮かび上がるようにすることです。「いろは姫」というのは、赤、緑、黄の3色の発光ダイオードの光り方をパソコンでプログラミングすることができる学習キットで、その名前は、伊達政宗の長女の五郎八(いろは)姫が城下に灯りをともしたという逸話にならってつけたのだそうです。

さて、1クラスを2グループにわけ、「いろは姫」をプログラミングする活動と牛乳パックにロウを塗る活動を交代で行うことになりました。「いろは姫」のほうは、パソコン画面上で、横軸に時間、縦軸に光の強さを表すグラフを描いていきます。なだらかなグラデーションをつけると光はゆっくり動き、短い幅の山を繰り返すと光はピカピカとまたたきます。子どもたちは自分たちがデザインした「いろは姫」がどう光るのか、ときどき暗い机の下で確認して気に入った光り方になったら、そのプログラムを「いろは姫」本体に保存していきました。
どこにロウを塗ろうかな?
 ロウ塗りは、溶かしたロウを絵や詩の周りに筆で塗っていくのですが、ゆっくり押しつけるように塗るのがコツです。また、ロウが厚くなると光りが透過しにくくなるので何度も塗り重ねてしまわないようにと注意がありました。子どもたちは、どこにロウを塗ればきれいに透けて見えてくるか戸棚の中で「いろは姫」を試験点灯しながら確かめ、気に入るまで修正していました。活動終了後、点灯してみようということになり放送室に集合。部屋の真ん中にすべての灯ろうを集め照明を消すと一斉に赤や緑や黄の光りがぴかぴかと光り出しました。その美しさといったらありません。小さな部屋は「ワーワー」「キャーキャー」という歓声に包まれました。

<収穫祭>


子どもたちが作った白菜の味噌汁は格別でした
123日 収穫祭に参加しました。会場の体育館には、仮設住宅の皆さん、萱場さん、明成高校の先生方など大勢の方々がブラスバンドによる「あまちゃん」の演奏で迎えられました。はじめに、学校菜園での白菜の栽培、野菜の断面図やいろは姫の灯ろうづくり、塩釜・野々島と花巻・下ノ畑をつないだ白菜の栽培リレー、仮設住宅の方々との交流などこれまでの学習のようすと感想などの発表がありました。こんなにも活動の広がりがあったのかと改めて驚きました。子どもたちは、学校で採れた白菜、煮干しからとった出し、明成高校から差し入れの味噌を使って作った味噌汁をふるまってくれました。柔らかく甘い白菜と深い香りの味噌のコンビネーションが最高。とっても美味しくいただきました。
幻想的なあかりが灯りました
食事中には女の子たちがダンスを披露。リズムにあわせた軽やかなステップに会場からは手拍子がおきて大いに盛り上がりました。さてお待ちかねの灯ろうの点灯式です。灯ろうはどこにあるのかと不思議に思っていましたが、ステージの緞帳があけられるとそこには66個の灯ろうが並んでいました。暗幕が引かれて真っ暗になった途端、きらきら、ぴかぴか、その美しさにみなさんからため息がもれていました。最後は6年生全員で「花は咲く」の合唱。仮設住宅の方々は涙ぐんでおられました。

12月6日 子どもたちは灯ろうを飾ってもらおうと仮設住宅を訪問しました。収穫祭に来られなかった方々は、はじめてみる灯ろうの絵や詩を見てとても喜んでくれたそうです。そして、下ノ畑と吉成小でできた白菜をプレゼント、一緒にゲームをしたり歌を歌ったりして楽しい時間を過ごすことができました。夜になると灯ろうは、ほのかにまたたきながら温かい光で仮設住宅を包んでいたそうです。

荒井小用地仮設住宅を包む灯ろうの輝き

2014年3月3日月曜日

<マガジン完成報告会>


「白菜の水分は何%?」「うーん・・」
213日 9日に仙台では78年ぶりという大雪が降って、校門までの上り坂はまだ雪道のままというこの日の午後、いよいよ「復興応援プロジェクト」マガジン完成報告会が行われました。子どもたちの心のこもった鉛筆書きの招待状をもらった私たちは、喜んで「ハートフルデイズ」と題されたマガジンの完成をお祝いしに出かけました。
10人ほどのゲストが招かれ、これまでの活動を振り返り、被災地の方への思いを深め、学習でお世話になった方や保護者達にこの取組みから生まれた思いを知らせるねらいの会が、リラックスした雰囲気の中で始まりました。りっぱにできあがったマガジンの紹介とお礼の挨拶のあと、子どもたちが独自に考えた、自作自演の1時間にわたる寸劇のスタートです。
劇は、学校から帰った6年生の一人がTVのスイッチを入れるところから物語が始まります。ニュースキャスター役の生徒が話を進める中、仮設住宅で灯ろうを飾った時の子どもたちの思いや、被災者の気持ち、白菜との出会いや収穫の喜び、白菜の断面図を描いて絵にし、詩を作った時の心の高まりなどを、会場を巻き込んだインタビュー、クイズ、料理コーナー、美しい歌声のコーラスをちりばめて、笑いあり、感動あり、思いのたけを精一杯表現し尽くしました。最後に出来上がったマガジンを担任の先生に宿題として提出し、大いに褒めてもらう、というオチもつけて拍手喝さいのうちに寸劇は終わりました。
1時間が短く感じるほど子どもたちの発表の内容は濃く、それだけこの1年で学んできたことが総合学習として充実し、楽しんで継続してきたことがうかがえました。おそらく、子どもたち一人ひとりの心の中に、形は違っても、学んできた大事なことがキラ星のように輝いているのでしょう。この総合学習のプログラムを先生たちと一緒に考えた私たちにとって、こんな嬉しいことはありません。
帰り際の校長室で、仮設住宅にお住まいの方が「灯ろうが3日で引き上げられる時は涙が出たよ。ちょうどクリスマスでツリーも飾ってあったけど、それより、灯ろうが光った時はみんなで歓声をあげたくらいきれいだったんだ。」とおっしゃっていました。被災地の方々を励ます点でも、子どもたちのがんばりは大成功だったということですね。

このプロジェクトは私たちのブログではとても表わしきれないほどの深い広がりを持った素晴らしい活動でした。詳しくは以下のブログをご覧ください。
なお、本ブログの写真の一部は学校からご提供いただいたものを使用しております。