2022年11月20日日曜日

「蔵で堤人形」絵付けわーくしょっぷ2022


2022年10月16日(日)

若林区南材木町にある旧丸木商店の店蔵を会場に、来年の干支<卯(ウサギ)>の堤人形の絵付けを、日本建築家協会東北支部宮城地域会との共催で実施しました。

奥州街道沿いに残るこの店蔵は、仙台市の「杜の都景観重要建造物等」にも指定されています。2011年の東日本大震災で被災しましたが、近くの南材木町小学校の子どもたちが復興を願ってデザインした、ユニークな〝紋″で飾られ復活しました。これまで建築と子供たちネットワークでは、この店蔵を保全・活用する活動を行ってきました。

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昨年度に引き続き、今年もコロナ禍を考慮し、人数を絞っての開催となりました。

集まった11名の参加者に、つつみのおひなっこやの佐藤明彦師匠が、丁寧に指導してくれました。太さの異なる3種類の筆を使い、白色、桃色、朱色、墨の4色で絵付けを進めます。

親ウサギの懐に子ウサギが3羽いるウサギの干支人形。まずは真っ白い生地の堤人形のうち、親ウサギの胴体を白で塗っていきます。生地と同じ白色なので白いのでちゃんと塗れているかなと確かめつつ筆を進めます。「何度も塗り重ねるとムラになるよ」との師匠からのアドバイスの元、迷いを捨てて筆を動かしていきます。

子ウサギの桃色で胴体を塗ったら、だんだんと細かい作業に進みます。目、耳、口を、桃色と朱色の顔料で仕上げますが、ちゃんと乾いてから塗り重ねないとにじんでしまうので、焦りは禁物です。

ここまでの作業では、それぞれの違いはそれほど見られませんでしたが、墨で眉と髭を入れた瞬間にウサギたちはガラッと個性的な表情になりました。

比較的シンプルな今年の干支人形、時間に余裕があったので、最後に親ウサギの白い胴体部分に桜の花を描き足して、かわいらしいウサギの干支人形が完成しました。

佐藤明彦師匠が手本を見せながら教えてくれました


真剣に絵付けする参加者


完成後、全員の干支人形を並べて撮影会


自分の作品を持って記念撮影



2022年8月8日月曜日

台原小学校3年生総合学習「台原の達人になろう!」

2022年7月5日(火)

JIA宮城とネットワーク仙台が連携して行われた台原小学校3年生の総合学習は、今年もコロナ禍のため土鈴づくりが取りやめとなり、博物館の見学のみが実施されました。

今年の3年生は3クラス93名。密を避けるため、クラスごとに時間をずらして堤町にやってきました。子供たちは、各クラス3グループに分かれて、登り窯、堤人形・ダルマ、堤焼を巡りました。

グループに分かれる前に、登り窯の前に全員集まって、渋谷セツコさん(JIA宮城・ネットワーク仙台)から、堤町まちかど博物館館長の佐藤くに子さん、博物館の展示でお世話になっている地元の青木さんと鹿戸さん、ネットワーク仙台メンバーの紹介がありました。   

また、博物館の前の道路は、昔は江戸から青森の三厩まで通っている奥州街道という重要な道だったこと、目の前にある窯で堤焼という焼物が焼かれていたことなどのお話しを聞きました。

この窯で堤焼という焼物が作られていました

<登り窯にはどんなひみつがあるのかな?>
1か所目の登り窯では、6つの窯が連なって階段状に登る形なので、六連の登り窯と呼んでいること、焚き口が下にあり、熱い火は上に登っていく仕組みになっていること、東日本大震災で、上から3つの窯が壊れ、大勢の人が協力して復興したことなど、窯の構造や仕組みなどについて説明を受けました。
青木さんからは、この窯が今年で104歳になることを教えられました。
その後、「窯のレンガがどういう気持ちなのか、体を使って感じてみよう」とセツコさん。二人一組になり、手を合わせて押し合いました。すると「つっぱりあっているのがわかった!」と子供たち。突っ張り合いはアーチという構造のなかで働いている力であること、登り窯はアーチが連なってボールトという構造になっていることを知りました。
昨年までは窯の中に入って見学できましたが、3月の地震で窯にひびが入って危険なため、今年は入り口のレンガを触ってみるだけになりました。それでも、黒くてピカピカしているレンガは何回も焼かれた昔のもので、赤いレンガは全く焼かれていない新しいものであることを、見て触って確かめることができました。
子供たちは不思議なものを発見。入り口が塞がれている窯と、壁に開いている小さい丸い穴です。入口をレンガや土でふさぐのは火が外に出ないようにするためと、穴は「色見」といって火のようすを見るためにあるという説明に熱心にメモをとっていました。
窯のアーチはつっぱりあっているんだね

入口から窯のなかのレンガを触ったり、「色見」(左の壁の上)を見つけたりしました

<堤人形やダルマはどう作るの?>
つつみのおひなっこやの店舗は別の場所に移転したため、今回は屋外で佐藤明彦師匠から堤人形とダルマの作り方について教えていただきました。
  • 堤人形は江戸時代から伝えられてきた型を使って作る
  • 表と裏の2つの型を使う
  • 2つの型のそれぞれに粘土を押し付けてから、2つを合わせて両方の粘土をくっつける
  • しばらく置いてから型をはずすと人形が現れる。中は空洞になっている
  • 人形を乾かしてから窯で焼き、そのあと人形に胡粉という白い粉を塗り、その上に色をつけると堤人形が出来上がる
ここで、明彦師匠から「堤人形を焼くときの温度はどのくらいだと思う?」と聞かれた子供たち。「30度!」「90度!」などいろいろな声があがりましたが、「800度から1000度だよ」という明彦師匠の答えに驚いた様子でした。次のクイズは、「ダルマに使われている材料は何だろう」。これには「石」「プラスチック」「コンクリート」などこちらも様々な答えが。師匠は「答えは紙です。ダルマも型を使って作りますが、型は木でできていて、その上に紙を何枚も張って作ります。底になる土台だけは乾燥させた土で作ります」。最後に胡粉を塗り、色を付ける工程は堤人形と同じだそうです。

「堤人形は2つの型を使って作るんだよ」と明彦師匠

<堤焼クイズに挑戦しよう!>
最後に回ったのは堤焼の展示室です。子どもたちはクイズの紙を手に持って入ってきました。台の上に乗っている堤焼の数々を見て、クイズの堤焼がどこにあるのかを探し、その使い方を当てるのです。

クイズは次の3つです。

A:鬼瓦は家のどこに置かれましたか
 ① キッチンのかべ
 ② 屋根の上
 ③ トイレのかべ

B:大がめは何をいれて使いましたか
 ① 水
 ② お酒
 ③ お風呂のお湯

C:これ(下の写真)は何に使うものですか
 ① 植木ばち
 ② 花びん
 ③ 冷たいごはんをあたためる


鬼瓦はすぐに発見。おかれた場所は、屋根の上が一番多くて、トイレやキッチンの壁という答えが少数ながらありました。

大がめは、多かったのが「酒」と「水」。
水道がなかった昔は、井戸から水を汲んできてかめに溜めて料理や洗い物に使ったことを話すと、鹿戸さんが「水汲みはだれがやったのでしょう?」子供たちはシーン。「君たち子供の仕事だったんだよ。井戸のない家では別の家まで水をもらいにいったんだ」と話すと「えーっ」と絶句。

Cでは、「植木鉢」が多かったのですが、「冷たいご飯を温める」という本当の使い方をいい当てた子も結構いました。
電気も電子レンジもない時代、この中に冷たいご飯を入れ、湯を張った器のなかにざぶざぶとつけて、引き上げるとご飯が温まる「湯通し」という道具であることを話すと感心しきりでした。
水道がなかった昔は水がめが必要だったと知りました
鹿戸さん(右から3人目)に、水汲みは子供の仕事だったと教えられました

湯通しは電気も電子レンジもない時代に生きた人々の知恵

見学を終えた子供たち。博物館への興味がつきなかったのか、「明日も来る!」「今日も来る!」と言い残して学校へと帰っていきました。

2022年8月6日土曜日

建築と子供たちプロジェクト2022「野菜の断面図を描こう!」

2022年7月18日(月)

4月から毎月開催してきた「建築と子供たちプロジェクト2022」のハイブリッド型ワークショップは本日が最終回です。

会場のβ本町橋には、地元大阪の大人5名、5歳1名、小学2年生1名、小学3年生1名、小学5年生2名と、仙台と名古屋の大人3名が参加者として、大阪の1名、仙台の3名がスタッフとして、計17名が集まりました。また、オンライン側には、仙台、宇都宮、名古屋から3名が参加しました。

会場は、大阪城の外堀だったという東横堀川に面した公園のなかに昨年建設された民間のコミュニティセンターです。木造2階建てで、1階がショップと飲食スペース、2階がオープンな1室となっていて、2階を今回のワークショップスペースとして使わせていただきました。川に向かって開かれた全面ガラス張りの部屋は、川の流れがよく見え、窓を開けると川を渡る風も吹いてきて心地よい空間でした。

午後1時開始。指導はネットワーク仙台の渋谷セツコさん。

まずは断面図とは何かについて。「この部屋を横に切って上から見ると平面図、縦に切って横から見ると断面図になり、部屋の高さなどがわかります」

「ここに野菜がありますが、それらの断面はどうなっているのか見てみましょう」と言って野菜を切ってその断面をみなさんに見せました。

「これからすることは、これらの野菜を、ルーペを使って観察して断面図にしてもらうことです。断面図には気づいたことや気になったことを、引き出し線を使って書きます」

渋谷さんは、ルーペを使った拡大の仕方や紙への描き方、引き出し線や気づいたことなどの書き方についてホワイトボードに書き出しました。

断面図の描き方を説明する渋谷さん

そしていよいよ断面図を描くことに。テーブルの上には、半分に切り分けられた、ピーマン、キャベツ、カボチャ、キュウリ、ブロッコリー、オクラ、ミョウガ、マッシュルーム、キウイ、オレンジがずらり。その中から気に入ったものを各自選んでもらいました。
断面図は、A4の白い紙の上に、紙全体を使ってできるだけ大きく描いていきます。子供も大人も、野菜の断面を詳しく見ようと、ルーペを何度も目に当てていました。

ルーペで観察しています

ピーマンの断面図

縦と横の両断面を描いたキュウリの断面図

断面図が出来上がると、「窓紙という小さい穴の開いた紙を、描いた断面図のなかの気に入ったところにあて、窓から見える部分をクレヨンで拡大してデザイン画にします。このとき野菜のことは忘れてください」と渋谷さん。続けて、窓紙のあてかた、拡大の仕方、着色をすること、クレヨンの持ち方、デザイン画を描くときの注意点などについて説明しました。
 みなさん、断面図の上に、窓紙をずらしながら当てていき、気に入った部分を見つけたようです。窓紙をドラフティングテープでとめ、八つ切り画用紙にクレヨンで描いくのですが、縦5㎝横7㎝の長方形の窓から見える部分を、八つ切り画用紙(縦横が窓のサイズと比例しています)いっぱいに拡大するようにとの注意がありました。
途中、全体に丁寧に色を塗ること、白くしたいときも白いクレヨンを塗ること、線は太く描くことなどの指導を受けて、やがてオンラインの方々も含めて全員が見事なデザイン画を仕上げることができました。

断面図の中の気に入ったところに窓紙を当て、窓から見える部分をクレヨンで拡大していきました

最後に、工夫したことや頑張ったことを前に出てきて発表。デザイン画からイメージする作品のタイトルが出来た人はそれも発表しました。なかには、作品に詩を書いた子もいて、大きな拍手をもらっていました。
2時間を目いっぱい使って断面図とデザイン画の制作を頑張ったみなさん。お疲れさまでした! 

<子供たちの作品>
オレンジの断面図の拡大(5歳)

オレンジの断面図の拡大(小学2年)

「ながれるうみ」キュウリの断面図の拡大(小学3年)

ながれるうみ
ザバーン ザバーン ザバーン
ながれるうみが大すきです
べっ べっ べっ べっ べっ べっ
ザバーン ザバーン ザバーン

「森のなか」ブロッコリーの断面図の拡大(小学5年)

「力強く育つミョウガ」ミョウガの断面図の拡大(小学5年)

<大人の作品(抜粋)>
ピーマンの断面図の拡大

オクラの断面図の拡大

オクラの断面図の拡大

ピーマンの断面図の拡大

オクラの断面図の拡大

キウイの断面図の拡大

ミョウガの断面図の拡大

キャベツの断面図の拡大

マッシュルームの断面図の拡大

キュウリの断面図の拡大


<感想(抜粋)>
  • クレヨンの”圧”がとても迫力のある絵になったとおもいます。拡大すると素敵な抽象画になっていて、大人より子どものほうがダイナミックでした。
  • 観察することでもののなりたちを学び、切り取り、色付けすることで、全く違う形が出来上がるというワクワクするプログラムでした。
  • 色付けの感覚に少し戸惑いましたが、途中アドバイスいただいたので、完成形のイメージがつかめました。
  • 子供たちや異年齢、異業種で集い、同じ活動ができるのは良かったです。
  • 物をよく見る大切さ、見方を変えれば見え方が変わる!事に今さらながら気付きました。
  • 楽しかったのは、視点の変化に気づけたことです。全体からディテールに入ると、だんだん大胆になってきました。逆に全体を振り返ってみたくなったり、あっちこっち思考を飛ばしながら、でもディテールに深く入って行く作業が楽しかったです。難しかったのは、クレヨンの強さを出すところです。画面越しでも伝わってくる、子供たちの絵の力強さが素晴らしかったです。
  • 家族3人で参加しました!野菜の断面をじっくりみたことなく、子供と一緒に、大人も楽しめました。
  • 建築の断面→野菜の断面→カラフルな作品につながると思っていませんでした!親子で楽しむ時間っていいなと、心から思いました!
  • 楽しかったです。久しぶりに観察して同じものを描く、クレパスで色を塗るということをして新鮮で、リフレッシュできました。見ていても人によって感じ方、表し方が違うことを発見?実感し、面白いと思いました。
  • 観察したことを忠実に紙に写しとるというのは、難しいことだと改めて感じました。
  • ちゃんとできるかどうか最初は不安でしたが、時間に余裕がある進行でしたので、慌てることなくとても楽しく取り組めました。
  • スーパーでの野菜選びから参加させていただけたので、何を使ったら面白そうかと別な角度から野菜達を見ることができて新鮮でした。プログラムの最後に野菜を食べてしまうと繋げるのは難しいでしょうか。
  • 昔小さかった頃に画家だった祖父の家に行った時の思い出で、夕食時に大皿に乗って机に出された茹でたての大きな蟹を前にして、祖父が私たち孫たちに「ではこれから食べずに絵を描きなさい」と言い、よだれを垂らしながら蟹の絵を書いたことを思い出しました。今回、オレンジを選んだ子などは、ちょっとそんな感じもあったのではと。そういえば、魚とか肉も断面いけるのでは、などとスーパーで思いました。これから料理をする時に、いつもスケッチしてしまいそうです。
  • 断面を立体的に考えながら記号化する所までは職業柄やりやすかったのですが、部分を切り取り絵にしていく段階は予想しておらず、ある意味、頭真っ白状態でやれました。
  • キュウリの中の種の付き方が、まるで木になる葉を逆様にしてギュっと束ねたようになっていたのが発見でした。また、皮のすぐ側の内側に等間隔にあるツブツブ(おそらく縦方向では筋か何か)が気になりました。表面側にあるトゲと何か関係があるのかなと調べたくなりました。



2022年8月4日木曜日

建築と子供たちプロジェクト2022「リバークルーズ~東横堀川から道頓堀川まで~」

 2022年7月17日(日)

街歩きのあとは、東横堀川から道頓堀川までのリバークルーズです。仙台5名、名古屋1名、大阪1名の計7名が11人乗りの船を貸し切り、東横堀川へいざ船出。船着き場はβ本町橋の目の前です。東横堀川の上を走るのは阪神高速道路。その下に架かるいくつもの橋をくぐりぬけていきます。まずは本町橋。この橋は、江戸時代は幕府直轄管理の公儀橋で、現存する大阪市内最古の橋(大正2年5月架設)だそうです。

橋は3つ連なる鋼製のアーチ構造で、中央のアーチの両側に重厚な石造の橋脚があり、その間を抜けて行きました。アーチの下には風鈴が下がり、私たちを涼し気に迎えてくれました。

β本町橋(左)と船着き場

本町橋
3連鋼アーチ橋、橋脚は石造り

本町橋 歴史を感じさせる親柱

本町橋
アーチ構造にぶら下がる風鈴

本町橋を北上すると、現れたのは大手橋と平野橋。大手橋は、コンクリートアーチ橋。平野橋は鋼アーチ橋で、桁は上部に置き、曲げモーメントや剪断力などの応力を負担させるため太く、アーチ部材は圧縮力のみを負担させるため細くした逆ランガー桁と呼ばれる構造だそうです。

大手橋
コンクリートアーチ橋

平野橋
鋼アーチ橋(逆ランガー桁)

その後、南下するといろいろな橋が登場。その名前は、農人橋(農民が田畑に行き交う橋だったから)、瓦屋橋(近くで瓦の生産が盛んだった)、末吉橋(豪商・末吉孫左衛門が架けた)というように、橋が人々の営みと密接に結びついていたことがわかります。こうした橋は町橋といって、町の人々が維持管理をしていたそうです。
東横堀川は上大和橋で終わり、直角に曲がって道頓堀川に入ると最初の橋が下大和橋、
ここからは上に道路などがなく、開放的な雰囲気でした。
太左衛門橋(興行師・大坂太左衛門が架けたことに由来)、日本橋(紀州街道が通るため公儀橋となっていた)、大阪ミナミの中心にある戎橋(えびすばし)などをゆっくり進んでいきました。この日は道頓堀でお祭りがあり、両岸を埋めるコスプレの若者たちや、舞台で歌い踊るアイドルたちで賑わっていました。
道頓堀最後の橋は浮庭橋(うきにわばし)。2008年(平成20年)に完成した人道橋で、デザインコンペで採用されたそうです。構造は吊り橋、ツタが絡んだ美しい橋でした。下から見上げると丸窓(上から川をのぞくため?)がついていました。
川岸にはお洒落なカフェテラス風の建物もあり、川と橋と建築物が一体となった素敵な空間になっていました。

浪華八百八橋と言われる橋の多さを実感し、様々な橋の歴史や構造なども間近に拝見することができた90分の船旅でした。

道頓堀最初の橋は下大和橋

お祭りで賑わう戎橋周辺

道頓堀最後の橋「浮庭橋」
左右の主塔がケーブルで橋を吊っている

浮庭橋の裏
真ん中に丸窓が見える

浮庭橋周辺のお洒落な建物

<リバークルーズ感想>
  • 川からの景色がとても新鮮で、橋を下から眺められたことがとても良かったです。
  • 大阪が橋の多い街だという言うことは漠然と知っていましたが、実際に沢山の橋の下をくぐりながら気持ちの良い川風をうけてのんびりと街をながめると、全く違った見え方が出来、脳にアドレナリンが溢れるのを感じました。大阪の橋は裏から見るのが面白い!
  • めったに観光クルーズは行わないのですが、正直、とても楽しかったです。街は混雑していても川の上は静かで落ち着いていて、違った角度からゆったりと大阪観光を楽しめました。川の風も心地よくあっという間に時間が過ぎてしまった感じです。コスプレの若者やアイドルなどなども観察でき、観光客にも地元人にもおすすめのクルーズだと思います。
  • 橋の裏側を風鈴で飾るなど、裏側だった面をまだまだ魅力的にできるのだと感心しました。この際、高速道路の裏側もプロジェクションマッピングなどで飾っても面白いのではと、勝手に妄想して喜んでいました。

参考資料:
  • 「中央区 橋から橋まで 総めぐり」(大阪市中央区役所)
  • 大阪市建設局ホームページ

建築と子供たちプロジェクト2022「船場街歩き」

2022年7月17日(日)

7月18日のワークショップ「野菜の断面図を描こう」に先立ち、2つのツアーを行いました。はじめは船場の街歩きです。

船場は大阪城築城に合わせて生まれたまちで、北は土佐堀川、東は東横堀川、南は旧長堀川(現長堀通)、西は旧西横堀川(現阪神高速道路)に囲まれている、南北2.1㎞、東西1.1㎞、約230haの区域をいいます。

この地域に歴史的建造物がたくさん残っているということで、是非船場を歩いてみようということになりました。

参加したのは、仙台から5名、名古屋から1名、大阪から2名の計8名。案内役は大阪観光ボランティアガイド協会の藤井さんです。

集合場所は大阪市役所南玄関前。そこから、難波橋を東に見ながら土佐堀川に架かる栴檀木橋を渡り船場へ。

栴檀木橋から難波橋、生駒山を望む

<適塾・愛珠幼稚園>
適塾(旧緒方洪庵住宅・重要文化財)は、緒方洪庵が1838年(天保9年)に創設し、大村益次郎や福沢諭吉などを輩出した蘭学塾で、今もその姿を内北浜通りにとどめています。     
建物は、間口12m奥行き40m、通りに面して木造2階建ての塾(表屋)と、その奥に、中庭と木造平屋一部2階建ての住宅部分(主屋)があります。1915年(大正4年)に、前面道路の拡幅によって1.2mの軒切りが行われたそうで、軒先はかなり短くなっていました。
現在は大阪大学が所有し、一般公開されていますが、今回は残念ながら時間の関係で次回に持ち越しとなりました。
適塾正面外観
手前が適塾、奥が緒方洪庵の住宅
適塾
前面道路の拡幅で軒切りされた軒先

適塾横の路地に沿って高塀を巡らせた和風建築がありました。それが大阪市立愛珠幼稚園(重要文化財)です。この幼稚園は1880年(明治13年)に地元の連合町会が設立し、1901年(明治34年)にこの地に移転し建設され、のちに大阪市に移管されたとのこと。戦時中、建物疎開により取り壊される運命になっていたのですが、終戦を迎えそのままになり、現在まで明治の建物がこの地に残されることになったのです。現存する木造の幼稚園園舎としては日本最古のものだそうです。
内部を見ることはできませんでしたが、幼稚園とは思えない入母屋の大屋根の佇まいを眺めることができました。屋根の下にはどんな大空間があるのでしょうか。そして、正門脇には江戸時代の銅座の跡地を示すサインもあり、門の柱脚には金輪継ぎという継ぎ手も発見することが出来ました。

愛珠幼稚園正門

門柱の柱脚に金輪継ぎを発見する建築家2人

<グランサンクタス淀屋橋・オペラドメーヌ高麗橋・浪花教会>
次に巡ったのが、旧大阪農工銀行ビル(1918年(大正7年)築、設計:辰野片岡建築事務所)の外壁を保存して建築されたマンション「グランサンクタス淀屋橋」。現在の外壁は、1929年(昭和4年)に改築(設計:國枝博)されたもので、アラベスク模様のテラコッタで飾られています。その外壁を保存して、2013年(平成25年)に地上13階、地下1階のマンションが建築されました。この建物、建築制限上、外壁を後退させる必要があったため、600tもある外壁を曳家したというからすごい。
旧大阪教育生命保険ビル(1912年(明治45年)築、設計:辰野片岡建築事務所)は、外壁に赤レンガと白い花崗岩を使った建物。2021年まで結婚式場「オペラドメーヌ高麗橋」として活用されていましたが、残念ながら閉店になったそうです。一緒に歩いた大阪在住の方が「ここで結婚式をあげたんです」と懐かしそうに話していました。
グランサンクタス淀屋橋
1,2階の外壁は旧建物の外壁を保存したもの

グランサンクタス淀屋橋
窓周りや外壁上部のコーニスがアラベスク模様のテラコッタで飾られている

結婚式場だったオペラドメーヌ高麗橋
赤レンガに白い花崗岩の帯のコントラストが美しい

そして、オペラドメーヌ高麗橋のすぐ隣に、浪花教会がありました。この教会は、ウイリアム・ヴォーリズの設計指導で1930年(昭和5年)に建てられました。尖塔アーチの窓を持つ外観。窓から差し込む赤や青や緑の光が礼拝堂を柔らかく照らしているそうです。

浪花教会 尖塔アーチ窓が教会らしさを醸し出している

<芝川ビル
芝川ビル(登録有形文化財)は、船場の豪商芝川家の6代目当主芝川又四郎が、地震や火事に強い建物を、という思いから、1927年(昭和2年)に建築した鉄筋コンクリート造地上4階地下1階の建物(設計:澁谷五郎、本間乙彦)。自邸として使われるとともに、花嫁学校も開校していました。現在、飲食やブティックなどの店舗に利用されています。中に入ることはできませんでしたが、エントランスに入って内部を垣間見ることが出来ました。内外ともに竜山石(たつやまいし(凝灰岩))が使われており、そこに施されているレリーフが印象的でした。資料によれば、古代中南米風だとか。
竜山石は脆いので、外壁のレリーフは風化が激しかったため、2009年に復元されたのだそうです。

芝川ビル外観
芝川ビル 
入口上部に復元されたレリーフが訪れる人を迎える

<船場ビルディング・生駒ビルヂング>
船場ビルディング(登録有形文化財)は、1925年(大正14年)に建てられた、鉄筋コンクリート造地上4階、地下1階の建物(設計:村上徹一)。
まず目を引くのは、吹き抜けの中庭です。その中庭を囲むように4階まで回廊が巡っています。回廊に面して事務所や店舗など各テナントの入り口や窓が並んでいました。中庭には植栽があったようですが、訪れたときは工事中でしょうか、撤去されていました。
玄関ホールの床は、トラックや荷馬車を引き込むための工夫がされていてスロープ状に上っています。その床材は、騒音を少なくするために考えられたという木レンガです。

生駒ビルヂング(登録有形文化財)は、1930年(昭和5年)に、鉄筋コンクリート造地上5階、地下1階の生駒時計店の本店(設計:宗兵蔵)として建設されました。現在は、コンシェルジュオフィスとして使われています。外壁の褐色のスクラッチタイル、水平に伸びる窓台のテラコッタ、外壁から突き出た装飾、鷲の彫刻などが印象的なアール・デコ様式の建物でした。

船場ビルディング外観

船場ビルディング
中庭を囲むように回廊が巡っている


アール・デコ様式の生駒ビルヂング
3階から5階まで伸びる突き出た装飾
5階上部には「生駒」の「生」の文字が見える

生駒ビルヂング
2階窓台の上の鷲の彫刻

<旧小西家住宅>
塩野義製薬、田辺三菱製薬、小野薬品など名だたる製薬企業が集まっている、くすりの
町、道修町(どしょうまち)の一角に、旧小西儀助商店の「旧小西家住宅」(重要文化財)
がありました。
小西儀助商店は、1870年(明治3年)に薬種業を始めました。道修町がくすりの街になるきっかけになったと言われています。現在はコニシ株式会社となり、合成接着剤「ボンド」のメーカーとして全国的に知られるようになりました。明治36年から3年かけて建設されたという木造2階建て(元は一部3階建て、のちに3階部分を撤去)の表屋造り(表に店舗、中庭を挟んで奥に住宅)の建物。往時の姿をそのまま保存した住宅スペースや、店舗を改装した展示スペースを史料館として公開されているとのこと。次回必見です。

旧小西家住宅 史料館として公開されている

<三井住友銀行大阪中央支店・高麗橋野村ビルディング・新井ビル>
三井住友銀行大阪中央支店は、1936年(昭和11年)建築(設計:曽禰中條建築事務所)。正面列柱の柱頭はイオニア式、新古典主義様式の建物で銀行建築らしい重厚なデザインになっています。柱頭上部にある楕円形の飾りは、ローマ神話の商業の神メルクリウス(ギリシャ神話ヘルメス)の持ち物の杖を表しています。
高麗橋野村ビルディングは、旧野村財閥の創始者野村徳七が1927年(昭和2年)に建築した、鉄骨鉄筋コンクリート造7階建て(設計:安田武雄、7階部分は戦後の増築)の貸しビルです。外観は褐色で統一されています。資料によると、材料は、1階が凝灰岩とタイル、2階以上がモルタル掻き落しとのこと。腰壁は前方に傾き、堺筋と高麗橋通の両方に面するコーナー部はアーチ状に丸みを帯び、腰壁上部には瓦がのっていました。

新井ビル(登録有形文化財)は、1922年(大正11年)に、旧報徳銀行大阪支店として建築された鉄筋コンクリート造地上4階地下1階の建物(設計:河合浩蔵)。1934年に、新井証券株式会社が取得し、新井ビルと命名されました。1階は列柱と石張りで銀行らしさを出し、2階以上はタイル張りの軽快なデザインになっています。1976年、先代社長の新井真一氏が、この場所に8階建てのビルを計画したのですが、建築家・清家清氏や日本建築学会の要請を受け入れ、計画を白紙撤回し保存を決意。外壁を保存して内部をリノベーションするという保存スタイルのさきがけとなったのだそうです。現在は1、2階が洋菓子店、3、4階が事務所のテナントビルになっています。
三井住友銀行大阪中央支店 列柱の柱頭はイオニア式

高麗橋野村ビルディング
当時としては珍しい鉄骨鉄筋コンクリート造

高麗橋野村ビルディング
コーナー部はアーチ状になっている

新井ビル
1階は列柱を配した石張り、2階以上はタイル張りの左右対称形

<大阪証券取引所>
大阪証券取引所は、北浜界隈に集まる金融機関の要として昔も今も存在しています。旧大阪証券取引所の建物は、鉄筋コンクリート造地上6階地下2階(設計:長谷部・竹腰建築事務所)でしたが、2004年に旧市場館と外壁と内壁の一部を保存して全面増改築されました。外観は、新古典主義様式を簡素化したものだそうで、列柱が円筒形に並んでいます。外壁全体が花崗岩で覆われています。玄関ホールを入ると平面が円形と思いきや、実は楕円形。前面道路の堺筋と土佐堀通が直角に交わっていないため、その関係を調整するためだったらしいのですが、金運を呼び込む小判型にしたという説も。内部は全面的に大理石が使われ、縦長窓のステンドグラスが美しい大空間になっています。

大阪証券取引所外観

大阪証券取引所
大理石張り大空間の旧市場館

大阪証券取引所ステンドグラス
幾何学模様と、壺や花のデザインで構成されている

ここで街歩きは終了。猛暑の中を2時間もご案内いただいたガイドの藤井さん、ありがとうございました!

<街歩きPart2  少彦名神社・糸車の幻想>
まち歩きのあと、道修町の少彦名(すくなひこな)神社を訪ねました。健康の神、医薬の神として知られる神社です。ご祭神は、日本の薬祖神「少彦名命」と中国医薬の祖神「神農炎帝」。そのため別称は「神農さん」。さすが医薬の神を祀っているだけあって、参道脇には各製薬会社の名入り提灯がずらり。「とら」があちらこちらに飾られていました。とら年だからではありません。文政年間にコレラが流行り、疫病除薬を作って、お守りとして「張り子のとら」と一緒におくったところ、病気が平癒したといういわれがあるので、「とら」がお守りになっているそうです。「張り子のとら」は神社のお土産としても人気だとか。一緒に行ったネットワーク仙台のメンバーがさっそく買い求めていました。

くすりの町の守り神「少彦名神社」

ご神木脇の祠に吊るされていた張り子のとら

堺筋と本町通の角に、面白いものがあるというので行ってみました。遠目でも何かのモニュメントらしきものが見えますが、近づくと、外階段があり、その壁に商工信金ホールのサインが。それに従って2階に上ると現れたのは、様々な色の陶器のかけらやモザイクタイルで彩られた巨大なレリーフ。その前には水盤があり、そのレリーフが対称形になって水面にうつりこんでいました。このレリーフのタイトルは、フェニックス・タイル「糸車の幻想」。日本のガウディと称された建築家・今井兼次氏の作品です。
実は、このレリーフ、旧東洋紡本町ビルの屋上にあったもの。その場所に大阪商工信用金庫が本店ビル(設計:安藤忠雄建築研究所)を建てることになり、旧ビル解体にあたり、このレリーフを見たプロデューサーの安藤忠雄氏から「これは大阪の文化財だ」と保存を提案されたとのこと。そこでだれでも気軽に立ち寄れるようにと低層部に3D技術を用いて再生復元、2017年9月に完成しました。
中央が糸車で、その背景には波打った織物らしきものが。それは、文字や数字、人の顔、ひょうたん、そろばん?など様々なものをまとっていました。そして気になったのが糸車から突き出ている尖塔と、その左右にある2つの丸いもの。
のちに調べたら、尖塔の頂部にあるのは月、左右には、左に織姫、右に彦星、その間を結んでいるのは天の川とあり納得。糸車は宇宙の夢を見ていたのでしょうか。
そして、その夢よ天まで届けとばかりに、空まで遮るものがない空間として歴史を紡いだ大阪商工信用金庫さんはじめ関係者の皆さんの心意気に感動しました。

フェニックス・タイル「糸車の幻想」
糸車から突き出た尖塔の頂部は月、尖塔の左に織姫、右に彦星、その間を天の川が流れている

<街歩き感想>
  • 大阪へは何度か行った事がありますが、今回の街歩きを経験した事で、初めて大阪のまちを知る事ができた気がしました。とても良かったです。
  • 時代時代の社会情勢に合わせて新しいものを取り入れながら、歴史的なものを後世に繋いでいくという船場の人たちの考え方や姿勢が素晴らしいと思いました。もう一度ゆっくり歩いてみたいです。
  • 船場の建築は有名なので、以前に、個人で見て歩いたことがありました。しかし、ガイドさんに説明してもらうと、時代背景やローカルな事情と合わせて建物を見ることができ、有意義な街歩きをさせていただくことができました。
  • 中之島エリアから少し南へおりて、北浜エリアまで。何度も訪れたことのある街ですが、町の成り立ちや歴史を織り交ぜた詳しい説明を受けながら歩くと、また違って見えるような気がしました。多くの近代建築が今も使って生かされていることに大変感動しました。またそれぞれの建物をあらためて巡りたいと思います。愛珠幼稚園が現在まで残っている奇跡に感動しました。船場の人々が私財を投じて建て、戦時中の建物疎開を免れ、今も現役でこどもたちが通っている。この町や人々と共に在る姿は素晴らしいと思います。
  • ちょうど愛知県瀬戸市にある国登録有形文化財の修復工事を終えたばかりだったので、どの建物も大変興味深かった。ご説明で、大阪では建物の持ち主が積極的に文化財へ応募すると聞き、維持管理や使い勝手などマイナス面を飛び越え、古い価値を良い意味で積極的に自慢する文化が根付いていて、東京や名古屋と違う上方文化の良さを勉強させられました。ちょうど午前中に京都をブラっとしていたので、関西に共通する考え方なのかもしれません。歴史と共に生活があるというような。建物の長寿命化は環境問題の大きなテーマでもあります。また、一つ一つの建物は点でしかないかもしれませんが、それらが街の構成要素であるのも確かで、薬屋さん街などそれぞれの建物がシームレスに影響し合い、さらに街と街が繋がっていって全体で良い影響をしあっていると感じました。他の伝建指定を受けた街などが、生活が無くなり観光お土産の街になってしまったり、文化財指定をうけると修繕負担できず自治体に売ってしまい、生きていない「○○家住宅」などの展示施設になってしまう例が多々見られますが、大阪ではそのような文化財建物はごく少数で、建物も街も生きていたのも印象的でした。

参考資料:
  • 船場マップ2021(船場ナビ)
  • [オオサカにぎわい発見]デジタル版中央区にぎわいパネル集(大阪市中央区役所)
  • 各建物ホームページ及び各種関連資料