2013年12月23日月曜日

登り窯復興記念板の設置と堤焼カメ転倒防止木枠台の製作



登り窯に取り付けられた復興記念プレート



20137月~12

 堤町まちかど博物館では、東日本大震災により半壊した博物館のシンボル「六連の登り窯」の復興を記念したプレート(ステンレス製)を製作し、7月に登り窯に設置しました。
プレートには、子どもたち60名を含む430名の方々の作業協力と、アメリカの方々を含む多くの団体・個人からの資金支援をいただき201210月に復興したことを記しました。

東日本大震災では、堤町まちかど博物館に展示していた堤焼のカメが複数転倒して壊れました。現在はカメを逆さまに展示して転倒を避けていますが、本来の展示に戻すため、カメの足元に転倒防止の木枠台を設置することになりました。201311月から、いつも木工の仕事をお願いしている鈴木功師匠に、L2040×W720×H2503舛)1台と、L1900×W520×H250(4舛)2台の製作をお願いしていましたが、12月に完成しました。2014年度も引き続き同じ大きさと台数の木枠台を製作する予定です。


2013年12月22日日曜日

昔の蔵でたのしむ ~ヴァイオリンとヴィオラの夕べ~ 開催報告


東日本大震災で被災した旧丸木商店店蔵(南材木町)の復興を記念して、112日(土)、旧丸木商店との共催により標記のコンサートを開催しました。ヴァイオリン演奏は、アメリカやヨーロッパ各地の音楽祭への招待参加や仙台フィル等との共演など仙台を拠点に幅広く活躍されている柴生田桂子(しぼうた けいこ)さん、ヴィオラとヴァイオリンの演奏は、チューリッヒ国立音楽大学で国家演奏家資格取得後、スイス各地での演奏活動などを経て、現在、仙台を中心に東北各地でソロ、室内楽、オーケストラでの演奏活動を行っている吉田和久(よしだ かずひさ)さんにお願いしました。

曲目は、「ヴァイオリンとヴィオラの為の二重奏曲」(モーツァルト)、「ユーモレスク」(ドボルザーク)、「パッサカリア」(ヘンデル)、「夕焼小焼」、「ロンドンデリーの歌」など 13曲。地域住民など参加した36名の方々は、華やかな音色のヴァイオリンと深い音色のヴィオラが奏でる美しいハーモニーに聴き入っていました。演奏の合間には、柴生田さんと吉田さんの掛け合いにより、ヴィオラの楽譜がハ音記号という特殊な音符で書かれていることや、弦楽四重奏では第一ヴァイオリン・チェロ・第二ヴァイオリン・ヴィオラの関係によるおもしろい話などが披露され、会場は和やかな雰囲気に包まれました。
               心に染み入るような二重奏に江戸の蔵もうれしそう

2013年12月21日土曜日

昔の蔵でたのしむ〜ヴァイオリンとヴィオラの夕べ〜

秋も長け、ものを想う心も深くなりますね。


震災から2年半がたち、仙台奥州街道沿いの旧丸木商店では、店蔵がよみがえった復興を記念して、ヴァイオリンとヴィオラの蔵コンサートを開催します。

心に響く弦楽の調べをお楽しみくださいますよう、ご案内いたします。



日時 11月2日(土)18:00〜19:15(開場は17:30)
場所 旧丸木商店の店蔵(仙台市若林区南材木町2)


ヴァイオリン演奏 柴生田桂子さん

ヴァイオリン&ヴィオラ演奏 吉田和久さん

2013年12月20日金曜日

干支人形絵付けワークショップ開催報告



20131012日(土)

一筆に魂を込めて!皆さん真剣そのものです
堤町まちかど博物館恒例の堤人形ワークショップ「干支人形絵付けワークショップに集まれ~!」を、つつみのおひなっこやさんの工房にて開催しました。講師は佐藤吉夫師匠と佐藤明彦師匠です。参加者は高校生含め6名。小学校の学習発表会の時期ということや、これまで参加されていた方たちが12年分を完成したこともあるのか、かなりアットホームな開催になりました。遠方からは、新潟大の建築科の学生が参加されました。
 来年の干支は午です。人形は首をスッと伸ばして明るいお顔です。地色の白は前もって塗ってあるので、目や背中の松葉の線を引くのがほとんどの作業で、比較的例年より早めに仕上がりました。松の葉っぱが矢印になってしまったものもありましたが、今年も世界にひとつだけの堤人形が生まれました。家族へのプレゼントと3つ同時進行で作っていた方は、まるで職人のような手際の良さでした。その方の黒いお午さんは勇ましく感じました。
 新潟大の学生さんは博物館の見学をし、終了後には堤人形が飾られたお店で堤人形や町の歴史などを教わっておりました。

来年も良い年になりそうです!

2013年12月19日木曜日

堤町まちかど博物館 干支人形絵付けワークショップに集まれ~!


毎年恒例の堤人形の干支人形に絵付けをするワークショップを開催します。
ぜひご参加ください。





来年の干支「うま」に絵付けします
■日時:平成251012日(土)10時~11時半
(集合:950分まで)
 ※雨が降っても行います
■場所: つつみのおひなっこや体験工房
    仙台市青葉区堤町2-10-10

指導:佐藤明彦さん(堤人形作家)
   
参加費:1500

準備するもの:汚れてもよい服装、タオル

■募集人数:小学生以上15名(下記に101日まで先着順)

■申込受付:つつみのおひなっこや
     TELFAX 022-233-6409

■主催:建築と子供たちネットワーク仙台 
■協力:つつみのおひなっこや、佐大商店

    駐車場がありませんので公共交通機関をご利用ください。





2013年12月18日水曜日

建築と子供たちアラウンド・ザ・ワールドのHP完成



アン・テーラー先生や酒井敦子さんなどが制作していた建築と子供たちアラウンド・ザ・ワールドのウエブサイトが完成しました。アメリカでの「建築と子供たち」の活動や仙台との交流活動なども紹介されています。また、「建築と子供たち」の意義や概念について解説する若かりし頃のアン・テーラー先生、学校での活動のようすなどがおさめられた貴重なビデオもあります。ニュースのコーナーには、昨年TEDxアルバカーキのプレゼンターに選ばれたアン先生の講演も掲載されています。
是非ご覧いただければと思います。

TEDxアルバカーキでの講演の動画はこちらです。

2013年12月17日火曜日

建築と子供たち2013/USA研修旅行報告


201386日(火)~817日(土)


 建築と子供たちネットワーク仙台では、1995年以来となる米国研修を実施しました。この旅は、東日本大震災で被災した仙台の歴史的建造物の修復活動に対して、アン・テーラー先生(建築と子供たちの提唱者)や酒井敦子さん(デザイン教育プログラムディレクター)、バッファロー建築財団などアメリカの方々からいただいた寄付に対する御礼と報告を兼ねて、建築と子供たちを実践している建築家や教育者との交流を図ることを大きな目的にしました。また、ニューヨークシティでの建築群とエンターテイメント、バッファローの歴史的建造物などを観つつ、アメリカの市民文化も肌で感じてみようというものでした。
訪ねたのは、ニューヨークシティ、バッファロー、そしてアン先生の夏のコテージがある1000(サウザンド)アイランズ地方のクレイトンやケープヴィンセントといったニューヨーク州各地です。参加したメンバーとその家族8名は、旅のはじめからアン先生や敦子さんとご一緒させていただき、たいへん充実した12日間を過ごすことができました。そのようすを以下にまとめました。



8月6日(火) ニューヨークシティ〜トップ オブ ザ ロック〜


  仙台から5名、東京・大阪・郡山から各1名の8名が成田第一ターミナルに集合。成田から13時間のフライトでニューヨークJFK空港に到着。ここでクレイトンとニューメキシコから駆け付けたアン・ テーラー先生と酒井敦子さんが合流し、タイムズスクエアのすぐそばにあるホテルに直行。荷物をほどくのもそこそこに、ロックフェラーセンターの展望台「トップ オブ ザ ロック」にニューヨークの夜景を見に行きました。


トップ オブ ザロックからの夜景
中央がエンパイアステートビル
ロックフェラーセンター(1939年竣工)は、88,000平方メートルの敷地に19の商業ビルが建ち、65,000人が働いているという巨大な複合施設。冬にはスケートリンクになり、12月にはクリスマスツリーが飾られるという半地下のロウアープラザでは、カフェテラスが開かれていました。目指す展望台は、センター中心にそびえる高さ260m70階建てのGEビルの屋上。まずはチケット売り場でシティパスを購入、人数制限をしているので私たちは2110分からとのこと。地下のお店でプレッツェルを食べながら30分ほど待ちました。そしていよいよ天井にきれいな映像が映しだされるエレベーターに乗りこみ、さらにエスカレーターを乗り継ぐと、ガラス越しではあるけれど屋外空間の展望台にたどりつきました。まず目に飛び込んでくるのはライトアップされたエンパイアステートビル、その美しさと存在感に圧倒されました。クライスラービルのうろこのような形をした頂部もよく見えました。
ロウアープラザのカフェテラス

8月7日(水)ニューヨークシティ 〜美術館巡りとミュージカル〜



   ソロモン・グッゲンハイム美術館
外も中もスパイラル
まずはセントラルパーク中央部付近の5番街にあるフランク・ロイドライト晩年の作品グッゲンハイム美術館へ。ぐるぐると渦を巻く白い建物、おなじみの外観が目の前に現れました。中に入ると人々が吹き抜け空間の床に寝ころんで紫の光に包まれていました。しばらく見ていると光は時間とともに青やピンクなどに変化していきます。上を見上げると、吹き抜け空間がトップライトまですっぽり布で覆われ光のキャンバスとなっていました。この展示は、光と空間の芸術家ジェームスタレルによる”Aten Reign, 2013”展(621日~925日)。しかし、吹き抜け部分はすべて布でふさがれ、スロープに沿って壁面に展示されているはずの絵画も撤去されていました。エレベーターで最上階の6階まであがり、そこからスロープを降りながら壁面に展示された作品をみる、吹き抜け側はスロープの手摺壁の上部が開放され、そこから各層の展示や人の往来を眺めることができる、という本来の観賞方法を体験できなかったことは残念です。しかし、1943年の設計着手から1959年の竣工まで16年を要し、没後に完成したライト渾身の作品を実際にみるというニューヨーク訪問の目的のひとつを達成することができました。

  メトロポリタン美術館
正面玄関の大ホールから各展示室へ出発
グッゲンハイムからセントラルパークの中を10分ほど南に歩いて同じ5番街に面するメトロポリタン美術館(1870年開館)に到着。4街区にまたがる大きな建物で、どこを見ればよいのかしばし呆然。とりあえずマップをもらい、ホールでの集合時間を決めてあとは各自興味のある展示を見にいくことに。エジプトアート部門では、1階のデンドゥール神殿が目を引きました。これは、ローマ皇帝アウグストゥスの命によって紀元前15年に建設され、この神殿を含めてアスワンハイダム建設工事で湖底に沈む遺跡の保護に尽力した米国の人々への御礼にエジプト政府から寄贈されたものだそうです。
それから小走りでフランクロイドライト設計によるフランシスリトル氏の別荘(1915年竣工 ミネソタ州ディープヘブン)のリビングルーム展示室に。高さ4.17m、奥行き14m、幅8.53mの部屋は、黄土色のプラスター壁、オーク材を使ったフローリングや長押や家具、レンガの暖炉、銅メッキの窓枠など全体が茶系で配色された部屋が再現されていました。なぜインテリアだけがここにあるかというと、リトル氏没後、大きすぎる家と高い税金、ひきもきらずやってくる見学者などに困り果てていた遺族に、1972年メトロポリタン美術館が救いの手をさしのべ、土地はそのままにこの別荘だけを買い取ったのです。そして、リビングルームの内装を剥がしてもとのように復元したというわけです。建物の外装部分は敷地内の通路に移築してあるそうなのですが見逃してしまいました。
ほんのわずかしか見ることができなかったメトロポリタン。延べ床面積130,000平方メートルという巨大な美術館が国立でも州立でもなく私立であること、300万点という膨大な収蔵品は略奪してきたのではなく、すべて購入したものか寄贈によるものであるということにニューヨーク市民の底力を見た思いがしました。

スカルプチャーガーデン越しにミッドタウンの街並みを見る
  ニューヨーク近代美術館(MOMA
3つ目の美術館はモダンアートの殿堂ニューヨーク近代美術館(1929年開館)。メトロポリタンからは離れているのでバスでの移動を選択。やってきたバスに飛び乗ると、料金の支払いはコインで一人2$とのこと、乗っている間中必死になって財布をかき回しすべてのコインを差し出しましたが、おそらく10人中34人分ぐらい不足だったかと思います。それでも無事目的地で降ろしてもらいました。運転手さんに感謝。
この美術館の設計には、1939年のエドワードDストーンとフィリップSグッドウィン以来、さまざまな建築家が関わってきました。1951年と1964年にはフィリップジョンソンによるイーストウイングとスカルプチャーガーデンの増築、1983年にはシーザーペリによるガーデンウイングの増築、2004年には、国際コンペで日本人建築家谷口吉生氏の案が採用され新館が増築されました。
彫刻展示室
 5階にはモネの「睡蓮」、ゴッホの「星月夜」、ピカソの「アヴィニョンの娘たち」、セザンヌ「水浴する人」など印象派やポスト印象派がずらり。
3階には、建築デザイン、デッサン、写真などが展示されていました。ほかにも、ポスター、映画、商品デザインなども展示されていて、絵画や彫刻にとどまらない幅広いデザイン作品の収集を目指すMOMAの姿勢がうかがえました。

  ザ ブック オブ モルモン
劇場入り口のサイン
夜は、2011年トニー賞9部門を受賞したミュージカル「ザ ブック オブ モルモン」。ホテルから歩い10分ほどのところにあるユージンオニール劇場へ。宗教を題材にしたミュージカルってどうなの?と思っていましたが、これが抱腹絶倒のおもしろさ。
モルモン教のメッカ「ソルトレークシティ」にある研修センターで訓練を受けた若者たちが伝道師として二人一組で世界中に派遣されます。
優等生ケビンプライスが組んだ相手は、モルモン書を読んだことがないという劣等生アーノルドカニングハム。そして、ディズニーランドのあるフロリダのオーランドに行きたいと願うプライスに対して二人の派遣先は北ウガンダの小さな村。貧困、エイズ、軍の圧政などに苦しめられ、神の存在など全く信じていない村人たちに、モルモン教の歴史や教義について説くもだれひとりとして耳を貸しません。そればかりか、悪名高い将軍の手下に荷物を持ち去られたり、将軍に反抗した村人が目の前で殺されたりと災難ばかり。プライスは布教に嫌気がさし、いかなるときもパートナーと一緒に行動するという規則を破って村を出ていきます(実際はバス停で眠ってしまい、村を出てはいないのだが)。置いてけぼりのカニングハムは孤軍奮闘、想像力たくましくモルモン書を解釈し自己流の布教をはじめますが、これが村人の心をつかみ、信者を次々に獲得していきます。一方、勇気を出して説教にいった将軍にひどい目にあわされたプライスは、自暴自棄になって禁じられているコーヒーをがぶ飲みする始末。
開演前のステージ
さて、大勢の信者獲得を表彰するために布教団長一行が村にやってきます。しかし、一行を歓迎しようと村人たちがカニングハムの作り話を劇にして演じたものだからさあ大変。団長は嘘だらけの劇に怒り心頭、ウガンダ支部の閉鎖と伝道師たちの即時帰国を命ずるのでした。
この一部始終を見ていたプライスは、「話が嘘か本当かなんてどうでもいいんだ。そんなことは問題じゃない。どこにも逃げ場がなかった人たちが今は幸せいっぱいで希望に満ちている。これこそがオーランドだ。」と気づきます。
そして、「何かを変えたって、規則を破ったって、神の存在を信じなくたって、このパラダイスのような惑星のために私たちは一緒に仕事をすることができるんだ」とプライス。カニングハムに「君のためなら何でもするよ」と、ウガンダにともに残ることを約束します。
フィナーレでは、プライス、カニングハム、先輩伝道師、村人、そしてあの将軍さえも、モルモン書ならぬ第4の聖典アーノルド書を手に持ち、みんなでtomorrow is a latter dayを高らかに歌うのでした。
曲はどれもすばらしく、特に、カニングハムがボノ(アフリカで貧困撲滅の支援活動を行うロックシンガー)のようになると歌う“I am Africa”と最後の“Tomorrow is a latter day”がいい。観ている人たちをハッピーな気分にさせながら、深刻で複雑な社会問題を抱える人たちに別の世界の価値観やルールを押しつけるのではなく、そうした人々の中に飛び込み、少しでも希望が持てるようともに行動しよう、と観客に呼びかけているようでした。こんなミュージカルを作ったトレイパーカー、ロバートロペス、マットストーンのコンビに拍手喝さいです。

8月8日(木)ニューヨークシティ〜 9.11メモリアルほか〜


 時差ぼけも徐々に回復してきた、ニューヨークシティ3日目。シャトルを半日チャーターし、マンハッタン島の南側を巡り、その後各自の興味に基づきマンハッタンの街を自由行動、夜は本場のジャズを味わいました。

      9.11メモリアル
完成形が見えたワン ワールド トレードセンター
 2001911日の同時多発テロで命を落とした2,977名と1993226日の世界貿易センター爆破事件で亡くなった6名の計2,983名を追悼のために建設された「9.11メモリアル」。メモリアルは完全予約制で私たちは事前にVisitor Passを取得し、予約した時間に合わせ訪れました。ロッカーはなく、大きな荷物は持ち込み禁止と言われていたので、この日は小さめの鞄で出かけていました。無事通れるだろうかと不安に思いながらセキュリティチェックを通りましたが、問題なく入ることができました。
 9.11からちょうど10年後の2011年9月11日に公開されたメモリアルには、テロにより崩落した、約414mと当時世界一の高さとなっていたツインタワー(ノースタワー、サウスタワー)の跡地に「ノースプール」、「サウスプール」の2つがあり約9メートルの人工滝が流れ落ちています。流れ落ちる滝の様子は、倒壊で下に崩れていく様子を思い起こさせ、まだ人々の悲しみがそこにあると感じました。水音が響き、多くの人が手を合わせるなか、私たちも犠牲となった方の冥福と、平和な社会を祈りました。
 敷地のマスタープランは国際コンペで選ばれた、ポーランド生まれドイツ在住の建築家ダニエル・リベスキンドによるもの。メモリアルのデザインは、アメリカの建築家、マイケル・アラッドとランドスケープアーキテクト、ピーター・ウォーカー によるものです。
 現在、跡地周辺では大規模な再建工事が進められており、アメリカの独立記念日にちなんだ高さ1,776フィート(約541m)で、完成すればニューヨーク市内で最も高いビルとなるワン ワールド トレードセンターを含め6つの高層ビル群(SOM、ノーマンフォスター、リチャードロジャース、槇文彦らが設計)、 サンティアゴカラトラヴァ設計の交通ハブ、公園や記念館などが計画されています。
        
プールの周りには犠牲者の名前が刻まれています
        

     バッテリーパーク
 せっかくニューヨークに来たからと、自由の女神像を見るためにマンハッタン島最南端の公園バッテリーパークに向かいました。ハドソン川の向こうに女神像が見え、女神像へ向かう船が発着する場所ともなっています。ここは、1966年からのワールドトレードセンター建設時の発生土を利用してできた埋立地です。
 観光客が多く集まっている公園内を歩き、川側に向かって歩いて行きます。公園のリノベーション工事現場を囲んでいるフェンスに、何やら椅子のデザイン案が描かれたポスターがずらーっと並んでいました。これは公園のリノベーション工事に合わせて開催されている「DRAW UP A CHAIR」というコンペ案で、審査により絞られた50案が展示されていたようです。どの椅子が好み?という話をアン先生と話しながら、完成したときの姿を楽しく想像しました。 
 ハドソン川岸にたどり着くと、自由の女神像が目に飛び込んで来たのと同時に、ひときわ目を引くレンガづくりの円形の建物「キャッスルクリントン」がありました。
 この建物は米英戦争の緊張が高まっていた1811年にイギリス軍の侵攻に備えて築かれた要塞でした。実際には戦争の用途には使われずに終わり、その後オペラハウスや水族館、移民管理局など様々な用途に使われ、現在は、自由の女神像へ向かう船などのチケット売り場や博物館として使われています。
 堤町の登り窯の修復で、レンガ積みを経験した私たちは、レンガの年代は全て同じなのかな?積み方はどうなっているのだろう?とまじまじと観察していました。
公園ベンチのデザイン案
チケット売り場  博物館となっているキャッスルクリントン
     チェルシーマーケット
 次はマンハッタン島の西北部に位置するチェルシー地区に移動。以前は精肉工場等の倉庫街があり、また映画とファッションで栄えていた街。現在はギャラリーやレストラン、カフェなどが集まり話題のスポットとなっています。
 チェルシーマーケットは、レンガ造りのナビスコの工場跡を改装し、1階にはレストラン、生鮮食品店、ベーカリー、キッチン製品、本屋などの店が入り、上層階には有名企業のオフィスが構えられる話題のスポットです。私たちはマーケット周辺で1時間ほどの自由時間とすることにしました。

レンガづくりの左手の建物がチェルシーマーケット、右手のレンガづくりの建物は旧港湾公社ビルで現在は米Google社のビル


工場時代の雰囲気を活かした内部


     ハイライン
多くの草花が咲き誇るハイライン
   チェルシーマーケットに隣接して貨物線の高架橋跡地を公園化した「ハイライン」があります。この高架橋は、1934年に出来たもので街区の中央を通り抜け、直接工場や倉庫に接続し、建物の中に列車が入って牛乳、肉、農作物、加工前あるいは加工後の製品を輸送していましたが、1980年に廃線となり、そのまま長期間放置されていました。
 1999 年、高架橋の保存と活用を求めるNPOが設立され、その活動がニューヨーク市を動かして、2009年に市民に開かれた公園「ハイライン」としてオープン。廃線となっていた際に線路上に野草が生えていたことをイメージさせるように野草があえて使用されています。
線路跡を活かしたベンチと、
アパレル企業の寄付でつくられた水辺
 現在、オープンしているハイラインは全長 1.6 kmですが、2014年春に完成すると全長2.3kmになります。あまり時間がなかったのでチェルシーマーケットの周辺のハイラインを30分ほど散策したばかりでしたが、その短い区間のなかにも、カフェやショップ、水辺、線路跡を活かしたベンチなど様々な顔を持つエリアが現れ、歩いていて飽きさせませんでした。       


     エンパイアステートビルディング
凛とした佇まいのエンパイアステート
 貸切シャトルの時間も終了に近づき、マディソンスクエア  パーク周辺で降りました。それからからジャズまでの時間は自由行動になり、うち6名はエンパイアステートに登ってみることに。エンパイアステートは、高級ホテル「ウォルドルフ=アストリア」(ホテル王ジョージ ボルト経営、813日ボルト城参照)が建っていた跡地に、建築家集団シュリーブ ラムアンドハーモンの設計で建設され、わずか11カ月の工期で1931年に竣工しました。高さは381m(塔の上まで443.2m)、ワールドトレードセンターのノースタワーができるまでの42年間世界で最も高いビルとして君臨していました。その後シカゴのウィリスタワーなどに追い越されるなどして世界一の座は譲ったあとも、建設中のワン ワールド トレードセンターが20135月にエンパイアステートの高さを超えるまでニューヨークで一番の高さを誇っていたそうです。シティパスがあるのですぐに展望台にいけるのではと思っていましたが、やはり長蛇の列。やっと乗り込んだエレベータはかなり揺れながら80階へ。ここでもセキュリティチェック、終わると日本語のオーディオガイドを渡されました。今度はジグザグのルートを歩いて第2エレベータの前にたどりつき、これに乗って86階の展望台に到着。展望台は建物をぐるりと囲んでいる腰壁だけの外部空間でかなり見晴らしがいいというか、ちょっと怖い。猛烈な風に飛ばされそうです。へっぴり腰で眺めると6日の夜に見たロックフェラーセンターGEビルやクライスラービルが小さく見えました。
エンパイアステートからの眺め、中央はクライスラービル
 
     グランドセントラル ターミナル
 メンバーが各々朝の散歩や、自由行動時間に訪れていたスポットの一つとして、グランドセントラル ターミナルがあります。ホテルがあるミッドタウン西側は観光客の方が多いですが、ターミナルのあるミッドタウン東側はガードマンが立っているような金融系のオフィスが多く立ち並んでいたり、スーツ姿の人が多かったりと、雰囲気が変わります。
 ターミナルの建物内に入ると、大空間と厳かな雰囲気に圧倒されます。蛍光灯の光で煌々と照らされている日本の駅とは逆に、間接照明中心の空間で、心地よさを感じました。この建物は1913年に建設されたもので、ちょうど100周年という記念の年。食事を楽しめレストラン等もあり、もっとゆっくりしたいと思いました。


100周年を表す窓の文字と、光ファイバー技術を取り入れた天井図

     タイムズスクエア
 泊まっていたホテルは、かの有名なタイムズスクエアまで徒歩約1分の場所。ホテルを確認するための絶好の目印でした。
 タイムズスクエアは戦後、治安悪化した時期もありましたが、広告物の逆規制により賑わいが演出され、車が排除された歩行者のための場所に様変わり、治安が悪かった頃の雰囲気は全く感じさせません。
 屋外広告物については、この一帯だけはかつてのエンターテイメントの街という個性をいかし、色彩や面積を抑えるとは逆の方法で、条件が決められています。テナント契約条件に①サインを9割以上設置すること、②深夜1時まで照明を消さないこと、③照明の一部を点灯させることが条件に盛り込まれているそうです。
 以前は4車線の車道となっていましたが、2008年にデンマークの建築家ヤンゲールの指導により自動車が排除されました。事故が減り、以前にも増して人通りが多くなったそうです。いつもこの場所を通ると、配置されているテーブル、椅子にはいつも人が座って賑わっている光景を見ることができました。
雨上がりのタイムズスクエア

     セントラルパーク
露出した岩盤のある、起伏に富んだ地形
 自由時間も残り少なくなってきた午後の2時間程度、セントラルパークを徒歩で散策しました。その広さは覚悟していたものの、回れたのは南側の一部分のみ。想像以上のその広さは一つの公園というよりも、自然豊かな一つの街のようでした。日本の公園等とその広さを比べても、東京の上野公園で約53.9ha、日比谷公園16.2 ha。仙台では西公園が10.8ha、榴岡公園が11.2ha。そしてセントラルパークはというと、341ha(東西約0.8km、南北約4km)と、圧倒的な広さであることがわかります。
 もう一つ感じた大きな特徴は、その敷地の地形の豊かさです。ダイナミックな岩肌がみえる起伏に富んだ敷地と、広大な貯水池を持ち合わせており、そこからビル群をみると、はるか遠方の街のように思えました。高層ビルが立ち並ぶ都会的なニューヨーク市街地の中心部で、自然の豊かさを感じられる場所を持つことは、なんて贅沢なことなのだろうと思いました。
  ニューヨークの中心地にこのような広大な公園が実現できた理由の一つには、繰り返し展開された市民運動の力がありました。1800年代のニューヨーク市内は人口が急激に増加しており、それに対応するために格子型街路計画を策定、併せてオープンスペースも計画されていたものの面積が不足していました。
 1844年にニューヨークの論壇の中核を担っていた知識人グループが公園整備運動を推進し「ニューヨークは単に経済の中心のみならず文化の中心でなければならない」「公園はレクレーションの場であると同時に、あらゆる階層の人々が共に集い様々な文化に接することのできる場である」と提唱しました。市も公園整備の方針を決め、1858年に公開競技設計の結果選ばれたのが、農業土木の技術者であったフレデリックローオルムステッドとイギリス生まれの建築家カルヴァート・ヴォーの案でした。公園は工事開始後15年を経た1873年に全域がほぼ竣工。特徴的だったのはその街路計画で、掘割につながる横断道路の他に馬車道、乗馬道、歩道の4つの系統により構成されていました。
 そして現在も横断道路は引き続き機能しており、立体交差した車道が広大な敷地のなかを通過できるように整備されつつ、それ以外の場所では馬車や自転車が通り、ランニング、散歩を楽しむ人が思い思いに過ごす、ゆったりとした空間となっていました。公園内には動物園や劇場、オブジェ、計21ヶ所の子どもの遊び場(プレイグラウンド)が点在し、イベントやコンサートも多く開催されています。
立体交差する道路と、その内部で行われていたバイオリンの演奏
 
※参考文献:石川幹子(2001)「都市と緑地 新しい都市環境の創造に向けて」;岩波書店;pp.44-57
 
     ジャズ
 メンバー思い思いに自由時間を過ごした後、夕方にはジャズ会場に集合しました。夕方にはあいにく土砂降りの雨に当たってしまい、びしょ濡れになってしまったメンバーもいましたが、ジャズ会場についてほっと一息。
 会場はセントラルパークの南西角に位置するコロンバスサークルに面するビル「タイム ワーナー センター」にあります。2004年にオープンした「ディジーズ クラブ コカコーラ」。会場はラウンド状になっており、どの場所からも眺められる配置。食事をしながら楽しめるテーブル席と、椅子のみの席とがあります。そして演奏者の背景にはセントラルパークの緑とマンハッタンの街並みが見える素晴らしい立地でした。
この日の演奏者は「Ali Jackson Quintetというピアノ、トロンボーン、サックス、バス、ドラムの5名で構成されたグループ。その演奏の力強さと、演奏者自身がセッションを楽しみながら演奏が盛り上がって行く様子に、音楽の素晴らしさを感じ、最後の最後まで充実した一日となりました。

5名のセッションと、背景のマンハッタンの街並み