2013年12月7日土曜日

8月17日(土) さようならニューヨーク州


 いよいよ帰国の日となりました。当初の計画ではシカゴ経由で成田に戻る予定でしたが、その便が787型機で飛行可能か不明だったためニューヨーク経由に変え、ケープヴィンセント→シェラキュース→ニューアーク→JFK→成田というルートで帰ることになりました。
7時、アン先生とダンさんの車2台に分乗して、お二人の運転でメープルグローブを出発、約1時間半でシェラキュース空港へ。旅の始まりから終わりまでご一緒させていただいたアン先生、その先生を陰で支えていただいたダンさん、お二人にはお世話に成りっぱなしでした。感謝の気持ちはうまく言葉になりませんでしたが、またいつか会えますようにと願いながら、お二人の姿が見えなくなるまで手を振って別れました。
 そして、先にニューアーク空港に向かう私たちを、別便でニューメキシコ州に戻られる敦子さんに見送っていただきました。敦子さんには準備段階から念入りな調整や交渉を進めていただき、旅が始まってからもツアーコンダクター兼通訳として私たちを助けていただきました。タラップで振り返ると空港ビルの窓越しに手を振る敦子さんが見えます。「敦子さん、お元気で!」
 とうとう7人となった私たちはニューアーク空港からJFK空港までタクシーで向かうことになりました。このタクシーの運転手はかなり荒っぽい運転。ひやひやしながら乗っていると大勢の人で賑わっている広場の前で警察の検問に遭遇。屈強なお巡りさんが3人、まずは運転手の免許証をしげしげとチェック、次にドアを開けて私たちの顔をじろりと見回すので、「パスポートを見せるの?」と身構えていると、テロリストではないと思ったか無罪放免となりました。
 午後6時、成田に向けてJFK空港を飛び立ちました。マンハッタンがどんどん小さくなり、しばらくするとナイアガラの滝が眼下に。もうニューヨーク州ともお別れです。
今回の旅でアメリカに多くの歴史的建造物が残っていて、そうした建造物を未来に引き継いでいこうとするプロジェクトがいくつも進められてることがわかりました。またこれらのプロジェクトでは、市民、専門家、大学、行政等が連携して参画していますが、その中でも大きな原動力になってきたのが市民であることも知りました。リチャードソン・オルムステッド・コンプレックスでは、市民運動がニューヨーク州を動かし、州による100億円の基金創設につながったそうです。アメリカには、都市や建築に対する肥えた目、自分たちの文化である都市や建築への誇り、それらを守ろうと行動する力を持っている市民が大勢いる、そのことを強く感じました。
そして、歴史的建造物が次々に失われている日本でこそ、そうした市民を育てていくことが大切であり、そのためにも「建築と子供たち」をもっと多くの子どもたちの教育活動に活かしていく必要があると改めて思い知らされました。
久々の研修旅行、私たちはアメリカの人たち、アメリカの環境からいろいろなことを学び、これからの活動の方向性を考える上でたくさんの刺激をもらいました。

アン先生ご夫妻、敦子さん、バッファローの皆さん、クレイトンの皆さんをはじめお世話になった多くの方々に心より感謝いたします。ありがとうございました。
セントローレンス川に沈む夕陽

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