2019年11月10日日曜日

<震災からの復興>
20113月、博物館は東日本大震災により登り窯の半分がつぶれ、貴重な堤焼のいくつかも壊れるという甚大な被害を受けました。無残な姿に解体も止むを得ないかと思われましたが、達夫さんの奥様で、2代目館長の佐藤はつみさんの、「亡くなった主人が大事にしていたものだから、この窯を元に戻したい」というお気持ちをうかがったとき、登り窯を復興させなければとみんなで立ち上がったのです。
 複数の団体や個人からの資金援助をいただきました。その中には、アン・テーラー先生(建築と子供たち創設者)をはじめとする米国の建築と子供たち関係者の方々、広島の陶芸家の方々なども含まれています。
20117月から、60名の子どもたちや、佐藤吉夫さん(堤人形作家・つつみのおひなっこや)をはじめとする地域住民、市民有志など延べ430名の方々の協力を得て、崩れた3房を再生する作業に着手しました。まずは、レンガを再利用するため、崩れ落ちたレンガに固く付着していた粘土を斫りました。台原小や吉成小の子どもたちも必死に手を動かしました。斫り終わってみると、形や大きさがばらばらな56種類ものレンガから成っていることがわかり、修復を重ねてきたであろう窯の歴史と窯元の苦労に想いを馳せました。不足したレンガ2000個ほどは、将来窯に火を入れることも考えて耐火レンガを購入しました。
次は、レンガから斫りとった土やレンガくずを、どんづきという昔ながらの道具を使ってつぶし、ふるいにかけて土を作る作業です。吉成小の子どもたちが土埃にまみれながら手伝ってくれました。出来上がった土は、のちに耐火モルタルを混ぜてレンガの接着に使うとともに、窯の保護土としても使いました。
準備作業を終えると、築窯師の佐藤時朗さんを浜松から迎え、焼物づくりの職人も加わり、窯積み作業が行われました。私たち手元は、古いレンガを磨き、大きさごとにレンガを並べ、指示された通りのレンガを差し出す役目です。
 まずは、窯の立壁にレンガを積み、アーチ部分は型枠(古い型枠と新たに作った型枠を利用)を使い、その上にレンガを積んでいくのですが、左右両方からレンガを積み最後はキーストーンとなる台形のレンガをはめこみます。その直後に支柱を叩いて型枠を一気に落とすとレンガがせり持ってアーチが安定しました。
 約1か月間の窯積みが終わり、時朗さんは浜松に帰っていきました。その後は、窯に土を塗る仕事が待っていました。土づくりを手伝ってくれた吉成小の子どもたちが再び来てくれて、窯の壁やアーチ部分に土を塗りました。
6房のうち3房が崩壊
固まった粘土を研ってレンガと土を再利用
どんづきでレンガくずや研りとった土をつぶす
  左 型枠の上にレンガを積んだ窯
中央 型枠をはずした窯    
右 レンガ積みが終了した窯
窯のアーチ部分に保護土を塗る
窯の壁に保護土を塗る
完成した登り窯
201210月、はつみさん、吉夫さん、地域の方々など窯の再生に携わった皆さんが集まり、火入れ式を行い、窯の中でカフェを開き、復興を祝いました。達夫さんも天国から見守ってくれていたことと思います。
窯に火を入れて復興を祝う
復興記念カフェを開催
子どもたちの感想から
・「学校の行事で来た時に見た登り窯とはまったく違っていた。昔の人が手間暇かけて作った登り窯が壊れて残念で、ぜひ復元したいと思った」(台原小学校4年生)
・「窯を直すのにこんな難しかったなんて思ってもいませんでした。でも私たちが直した窯がキレイになって嬉しかった」(吉成小学校6年生)
「震災当時、窯はめちゃくちゃにくずれていたがよくなおせたと思った。
ぼくは修復工事に4回行ったが、何回も行っているうちに工事がとても楽しくなってきた。ものすごい昔からあるこの堤町の佐大ギャラリーと窯は心が和む場所でもあるし、工事しているうちにどろだらけになりながらやっていたこともこれで報われると思います」(吉成小学校6年生)

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