7月9日(火)
きょうは堤町まちかど博物館の体験窯で焼いてもらった土鈴を窯から出す日です。佐藤吉夫、明彦両師匠にお世話になりました。
曇り空の肌寒い中、子どもたちが水筒と生活科バッグを持って堤町まちかど博物館にやってきました。
はじめにネットワーク仙台より、博物館前の通りは奥州街道といって江戸日本橋から青森三厩まで続く大きな道だったことや、堤町では江戸の昔からここに住んでいた足軽たちが焼物を作っていたこと、2011年の大震災で登り窯の半分が壊れたけれどたくさんの人の力で直したことなど話しました。
震災で壊れた登り窯をみんなで直した話などを聞く |
その後、3クラスに分かれ、登り窯、2階展示室、堤人形工房「つつみのおひなっこや」を順番にまわりました。
登り窯では、窯にどのような力が働いてトンネルのような形を保っているのか、体を使って確かめました。二人一組になってアーチをつくり、お互いの手で支え合っていることや足で踏ん張っていることを体で感じてみました。また、窯は坂を利用して造られていて、坂の下にある焚口に火を入れると、窯の中にある穴を伝って上のほうに火がのぼっていく仕組みになっていること、窯の壁に使われているレンガのうち古いものは、焼物の釉薬が飛び散り溶けて表面がツルツルになっていることを聞いたあと、窯のなかに入り探検。火が通る穴や古いレンガを見つけては歓声をあげていました。
窯に働く力を感じてみよう |
2階の堤焼展示室では、大きい水ガメの前で何に使われたかを聞くと、「米や味噌を入れるもの」や「風呂」との返事。昔は水道がなかったので、井戸から水を汲んで溜めておき、料理や洗い物に使ったものであることを話すと、「今は便利でよかった」とほっとしたような顔をしていました。
ここにあるカメなどの堤焼は、堤町だけではなく、台原小学校で採れた粘土も使って作られていたことを話すと、自分たちの学校と堤焼に関係があったことをはじめて知った子どもたちは、「えーっ」と驚いていました。
水道がなかったころに使われていた水ガメの前で |
堤人形の展示室では、たくさんの人形がぐるりと囲んでいるようすを見て、「わー、すごい」「こわーい」などと声があがりました。それらの人形のなかに、「谷風」の人形が飾ってあるのを見つけました。この人形は仙台出身で江戸時代の名横綱であることや、250年前に作られたものであることをはじめて教えてもらった子どもたち。じっと顔を覗き込んでいました。
子どもたちは、谷風の後ろの壁にある黒い手形を発見。この部屋を使っていた職人さんたちがイタズラでつけたものであることを聞いてくすっと笑っていました。
谷風の人形と手形に見入る |
おひなっこやでは佐藤吉夫師匠がお話をしてくれました。
堤人形は、堤町で作るので堤人形といわれるようになったこと、はじめは、お稲荷さんや恵比寿さんなどの宗教的なものや金太郎、天神様(菅原道真公)などを作っていたこと、お店にあるのは今150種類、人形の型は1759点もあるということなどを聞きました。
子どもたちは、持ち帰った土鈴を学校で絵付けすることになっています。そのことを聞いた師匠は、絵の具を少し濃く溶いて塗るようにアドバイスしていました。
最後は窯出しです。一つひとつ両手で大切に受け取りました。ユニークな形のものもたくさんありましたが、ほとんど割れずみんなで胸をなでおろしました。
焼き上がった土鈴を大切そうに受け取る |
堤焼の歴史をたくさん学んだ子どもたち。最後に大きな声で、「ありがとうございました!!」と言って、学校に戻っていきました。
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