2018年7月3日(火)
今日は6月に作った土鈴の窯出しの日です。水筒と生活科バッグを下げた3年生99名が堤町まちかど博物館にやってきました。館長の佐藤はつみさんや前回のワークショップでご指導いただいた「堤人形工房・つつみのおひなっこや」の佐藤吉夫師匠と明彦師匠、日本建築家協会宮城地域会とネットワーク仙台のメンバーが迎えました。はじめにネットワーク仙台から、博物館前の道路は、昔、江戸から青森までを結んでいた奥州街道と呼ばれた道で、行き交う大勢の人で賑わっていたこと、このあたり一帯は、町中で堤焼や堤人形を作る焼物の町だったことなどを話しました。
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登り窯の前で、焼き物の町「堤町」の歴史を聞く |
窯出しの前に博物館を見学。3クラスに分かれ、六連の登り窯、2階の堤焼・堤人形の展示室、つつみのおひなっこやを回りました。
おひなっこやでは明彦師匠から堤人形の歴史や作り方について聞きました。堤人形は約350年前に始まり、はじめは縁起ものや宗教的なものが作られていましたが、のちに浮世絵や歌舞伎を題材にしたものが作られるようになったそうです。堤人形は、表と裏の2つの型を使い、それぞれの型に粘土を押し付けたあと、型を合わせしばらくしてから型をはずすと人形が現れてくる、それを乾燥させてから800度から1000度で約一日かけて焼き、最後に絵付けをするのだそうです。おひなっこやでは、松川だるまも作っていますが、だるまは、木型に和紙を張り合わせて作るので堤人形と違い、焼かないことを教えられました。
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「堤人形は型を使って作ります」と明彦師匠 |
登り窯の見学では、登り窯は坂を利用して造られている窯で、焚口のある下から上に向かって熱が伝わる工夫がしてあること、アーチ型の入り口は火を点ける時はレンガでふさぎ上に土を塗ること、入り口脇の壁の上にある小さな穴は色見といって火の色で温度を判断していたこと等を聞きました。また、東日本大地震で壊れた窯を修復するとき、古いレンガと新しいレンガを一緒に使っているので、よく観察するようにとの話がありました。古いレンガは釉薬がついて表面がツルツルしているというヒントをもらい、窯の中に入ってレンガを触りながら古いレンガを探しました。
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「古いレンガはツルツルだね」 |
2階の展示室は2つに分かれました。堤焼展示室では焼物クイズに挑戦。帽子のような形の焼物には、「ヘルメット」「どんぶり」という答えがあがりましたが、「これは頭巾(トキン)といって、昔の電柱は木でできていたため雨に当って腐れないように柱の上に被せていたもの」と種明かし。そのほか、底に小さい穴がたくさん開いているカメは、冷たくなったごはんを入れて上から湯をかけて温めた湯通し、大きいすり鉢は仙台名物笹かまのすり身を作ったものなど様々な生活の道具を知り、「昔の人は頭がいいね」と感心しきりでした。隣室にずらりと並ぶ大きなカメを見て、なかをのぞき込みながら「お風呂じゃないの?」。昔は水道がなかったので、このカメに水をためて料理や洗い物に使っていたこと、その水を井戸から汲んで運んでくるのは子どもの仕事だと聞いて「えー、重いよ!」とびっくりしていました。
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「大きいね。お風呂みたい」 |
人形展示室には、「天神様」「お雛様」「鯉かつぎ」などの古い堤人形が部屋の周りにぐるりと飾ってあります。その中で子どもたちの目を引きつけたのは、博物館で一番古い堤人形と伝えられる横綱「谷風」と、その隣に並ぶ「布袋さん」「福助」だったようです。そして、それらの背後の壁に黒く浮かぶ手形を発見。ここで働いていた職人さんたちがイタズラで付けたと聞き、興味深いようすでじっと見つめていました。ひとしきり観察した後は床に座り込み人形たちの絵を描きメモする子どもたち。いくら時間があっても足りないようでした。
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右から左に並ぶ、谷風、布袋さん、福助に見入る |
最後はお待ちかねの窯出しです。順番に窯より一つずつ受け取り、落とさないように用心して運びました。無事に焼きあがっているかどうかドキドキしながらの窯出しでしたが、最後までひとつも壊れずに土鈴が出てきてほっと一安心。子どもたちは笑顔で小学校に戻っていきました。
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落とさないように気をつけて受け取ろう |
その後、焼きあがった土鈴に絵付けをして子どもたちオリジナルの作品が完成しました。
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絵付けされた土鈴、なんてめんこいんでしょう! |
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